月のシズク
mamico



 姉を演じる

「おねーちゃん、あのさぁ・・・」
ノックもなしに、黒い人影が飛び込んでくる。
コートにマフラーをぐるぐると巻きつけたままの恰好で、つかつかと部屋の中
に入り、茶色い革張りのソファーにどすんと腰を下ろす。なんて無礼な奴。

「今週末さぁ、好きな子の誕生日なんだよ。付き合ってもいないのに、
 いきなり指輪とか送られたら引くーぅ? オレ、どーしよう」

長い足を片方に絡めて、どーしよう、と云うわりには困惑した表情はさらさら
なく、楽しそうにすら見える。大きな窓から差し込む西日に眼を細め、ポケット
から煙草を取り出す。全身から発する若さのエネルギーに、私は眩暈を感じた。

ここ数週間、根詰めた作業をしているので、私は別室の共同部屋を使って
いる。広い机に書籍やら紙やらが散乱し、雑然としている。その部屋の一角
には、ひとり掛けのソファーがふたつ向かい合って置かれており、そこで
お茶をのんだり、仮眠を取ったりしている。南向きで日当たりがいいのだ。

「あの子も、おねーちゃんくらい気楽ならいいのに」

おねーちゃんね、と思い、おねーちゃんか、と思う。
私には血のつながった兄がひとりいるだけで、弟も妹もいない。
でもここ数年、私の周りには、妹的存在の女の子や弟的存在の男の子が増えた。
別に面倒見がいいわけでも、しっかりしているわけでもないのに、年下の子
たちが「姉」として私を慕ってくる。嬉しい反面、ちょっと複雑でもあり、
でも何となく彼らを受け入れてしまう。

彼らを見ていると、はっとさせられることが多い。
私がかつて通過してきた地点に立ち、私がかつて悩んだことを悩む。
ほんの数歩、私が先に生まれてきただけなのに、彼らを見ていると、なんだか
どれも昔のことのようで、懐かしさと羨ましさが、ないまぜになる。歳を重ねる
と、可能性は確実に狭まる。未知の可能性をたくさん抱えて思い悩む彼らが
とても眩しく思える。

「おねーちゃんはさ・・・」
向かいのソファに長い足を投げ出し、嬉しそうに喋りたてる弟クンに、「ジャマ
だから、出て行きなさい」とは云わない。私が云わなくても、彼らはちゃんと
時が来たら出てゆく。年末、妹ちゃんはルクセンブルクに旅立った。
この弟クンも来月末にはドイツへ行ってしまう。

私は彼らのよき姉として、「いってらっしゃい」と「おかえりなさい」を
ちゃんと云えるようにしておこう。血のつながった家族としてではなく、
彼らが自由に旅立てる発着場所として。

別室で調べものをして部屋に戻ってくると、机の上にチョコレートが二粒と
「がんばれよ!」の汚ったないメッセージが置いてあった。

2004年01月20日(火)
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