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■ うしろ向きの現在進行形
「50年後、何してるかな?」 と、骨皮だけになった塩鮭の残骸を、箸で器用に皿の隅に寄せながら友は言う。 夜は飲み屋になる小料理店のランチは、仕込みに手間をかけていて美味しい。
そのとき私たちは、つつがなく流された時間の距離に唖然としていたのだ。 日々の労働をし、ごはんを食べ、風呂に入って、眠る。 単調に繰り返される日常は、目をつぶっても前へ押し流される動く歩道だ。 50年という時間は、けして長いわけではない。不意に危機感を感じた。
子供の頃、時間は流れるものではなく、居座るものだった。 たった数時間でも、それは複雑に重なり、どろっと密度が濃く、何倍にも感じた。 それはなぜか?
それは「初体験」がたくさんあったからだ(さっきやってたドラマのタイトルみたい)。 はじめての道、はじめての場所、はじめての風景、はじめてのトモダチ。 見るもの、聞くもの、触れるもの、そんなものにいちいち立ち止まり、感動して、 いっしょうけんめい記憶に登録してゆく。一瞬たりとも同じ時は感じなかった。
これだ。 大人になると「時間がない」と言い訳をし、立ち止まることを忘れる。 これも知ってる、あれも知ってる、という気になって、はじめてのことでも とっくに「体験済み」だと思い込んでいる。そして、さっさと進もうとする。 時計の針を自分の指でぐるぐると回して、気が付くと空虚感を抱いている。 そんな歩き方をしていたら、どんどん空っぽになってしまう。
危機的状況
生きてるうちは、いつだって現在進行形だ。 勝手に過去完了形にしてしまうのは、もうやめようよ。
2002年02月26日(火)
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