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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2005年03月18日(金)
Vol.555 厚い人の情け

おはようございます。りょうちんです。

去年はさまざまな災害が各地で起こった。災害で家を失った人たちは、もちろん住む場所さえ失ってしまうということなのだが、今からちょうど7年前に俺の実家が全焼した時も、俺の家族は住む場所さえ失ってしまった。家が焼けました、それじゃすぐに建て直しましょう、なんて簡単にいくはずがない。当たり前だが、家を建て直すのには時間もお金もたくさん必要なのだ。途方にくれた両親は、当初県外に住んでいた俺の元にとりあえず一家総出で来ることも考えたのだが、結局頼りになったのは親戚や近所の人たちや店の常連のお客さんたちの厚い厚い情けだった。
火事の知らせを聞きつけた人たちは次々と俺らの元へやってきて、火事の見舞い金とともに古着だの食べ物だのいろんなものを持ってきてくれた。火事の片付けをしながら、そうやってわざわざ訪れてくれる人が見えるたびに俺らは頭を下げた。そして数日間のうちに、むしろ余ってしまうほどのたくさんのものが集まったのだ。また、新しい家ができるまでの約束で、歩いて10分ほどの叔母の家に俺の家族は身を寄せることになった。けして広くはない家なのに、突然4人も人が押しかけて一緒に住むことになったのだが、叔母の家族の誰もがイヤな顔ひとつせずに歓迎してくれた。こちらからお願いをしてるわけじゃないのに、気がつけばそうやっていろんな人の情けを受けてコトが進んでいき、もう俺らは感謝するしかなかった。
父と母で営んでいた店まできれいに燃えてしまったので、家を失うと同時に両親は職も失ってしまった。父が仕事を再開したのが、火事になってから2ヶ月後の5月。ハサミやクシなど必要最低限の仕事道具だけを揃えて、要請があったお客さんのところへこちらから赴いて散髪をしにいった。完璧な仕事ができないとはいえ、昔からの常連さんが声をかけてくれることに、父はこの仕事をやってきてホントに良かったと思ったそうだ。結局新しい家が新築されて、家族がそこに住むようになったのは火事になってから約半年後の10月。あれから7年、そして今に至る。
だから俺らは、絶対に忘れちゃいけない。俺らを助けてくれた、厚い人の情けを。