いぬの日記

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2004年02月19日(木) 豆腐の角に

本当に救いようが無く駄目な日は、日記も書けない。
日記を読むであろう人たちに対して後ろ暗いので。
「こんなもん書く暇があったらやることやれよ」と本気で思うので。
でも、どうせ家にいるのに全く更新しないよりは、したほうがいいのかな。
後ろ暗く感じるのは、日記書こうと書くまいと同じことで、それなら更に後ろ暗さをハッキリさせたほうが、ああ頑張ろうという気分になるのかな。どうだろう。


図書館でバッハの「平均率クラヴィーア」を借りたので、ネットで色々調べてみた。
面白い。
すごい緻密で詳しいサイトを見つけたりして、世の中にはすごい人がいると思った。
私は、音楽の素養はないし、感性もないし、知識も無い。
でもバッハは好きです。
バロック音楽が多分好き。
バッハ・インベンションを2・3曲だけやったけど、面白かった。
新鮮で安心感がある。情緒はあるけど甘ったるくない。頭良さそうな音楽。

石田衣良の本を読むと、クラシック音楽がすごくいい物のような気がして、聞いてみたくなる。

バッハのピアノ演奏者として有名な人で、<スヴャトスラフ・リヒテル>と<グレン・グールド>という人がいるらしく、私が借りたのは<スヴャトスラフ・リヒテル>の演奏しているものだった。
石田衣良は<グレン・グールド>のバッハが好きらしい。クラシックなどめったに聞かないので、複数の人が演奏している同じ曲を聴き比べたことなんてない。聴いてみたい曲を探す時も、演奏者が違うからって大した差はないと思って頓着してなかった。多分、それは間違ってるんだなあ。演奏者が違えば全然違う音楽になる、らしい。<グレン・グールド>の「平均率クラヴィーア」も聴いてみたいと思う。




豆腐の角に頭をぶつけてしまいたい。
今の私が、底辺で、後は上に上がるしか道がないといいのに。
でも、私は、私としてはあまり変わってないと思う。
マメに高校行ってて、サボるなんて考えもしなかった私と、今の私に大して差は無いのだと、自分が知っている。

ここまでだらしなく生きてるのに、生きてるのは楽しいとか感じるのは、単に思考が逃避してるのかも。
テスト前に鉛筆削り始めたりとか、レポートがあるときに料理したくなったりするような感じで。


マーガレット・マーヒーという児童文学(ヤングアダルトかな)の作家さんが好きだ。
その人の「目覚めれば魔女」という本の中で、人間に憧れて、生身の人に成りすまして人間社会で生きている悪い霊のようなキャラクターが出てくる。
<彼>は、生身の人として生きていくために、人間の生気をもらって生きていて、そのために主人公の弟の命を奪いそうになる。
主人公の少女は、<彼>に対抗するために魔女になる儀式を受ける。
それは、魔方陣や生贄のようなものを必要としない、ただ眠るだけの儀式だ。
少女は自分の中に深く深く潜り、新しい魔女としての命に生まれ変わって目覚める。
<彼>は魔女として生まれ変わった少女に、存在を消されそうになって、こんな風に弁明する。

「この、感じるということ。空気の匂いをかいだり、植物に触れたり、風を感じたりする、肌の感じ。生きているということ、こんなに素晴らしいことは無い。人間は気がつかない。愚かにもその価値を忘れている。私が何かしたか?ただ生きているだけじゃないか。生きさせておくれよ」

<彼>は、普通のしょぼくれた、人の良さそうな中年の男の姿をして、哀れっぽく主人公にすがるのだ。

結局<彼>は消され、主人公の弟は元気になり、主人公は彼女を助けてくれた少年といい感じになる。
ていうか、主人公と少年のちょっと独特の恋が、この話の大きな筋なのだけど。

主人公の少女も、少年も、物語のヒーロー・ヒロインのように美しい存在ではない。
弱いし、ずるいし、見栄っ張りで、生々しい。でもかっこいい。どちらも嘘じゃないのが魅力的だ。

私はこの、生きていて、感じるということそのものが素晴らしい、というのに驚いて、ああそりゃあ確かにそうだなーと思った。
何をするにしても、感じるというのは面白いことだ。
まー、すごい辛いこととか、痛いこととか、苦しいことは嫌だけど!拷問とか体験したくもないけど!
生きているというのは、普通はそれだけでも、随分面白い体験だ。

****本については、数年前に読んだので記憶はかなり怪しい。
****台詞もあらすじも適当に書いているので、信じないように。




だから、引きこもって鬱々として自己嫌悪に激しく陥っても、次の瞬間には、ああ楽しいなー生きてるって、とか考えたりするのですよ私は。
それってどうなの、全然駄目じゃん、とは思いますけどね。

ああでも、豆腐の角に頭をぶつけたいよー。
とにかく朝起きなきゃ。うー。


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