断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2023年12月19日(火) 「四月は君の嘘」

2015年5月26日



 『四月は君の嘘』 全23話

 母の死をきっかけにピアノが弾けなくなった、
 元天才少年・有馬公生。
 モノクロームだった彼の日常は、
 一人のバイオリニストとの
 出逢いから色付き始める…
 傍若無人、喧嘩上等、でも個性あふれる演奏家
 宮園かをり。
 少女に魅せられた公生は自分の足で
 14歳の今を走り始めるのだった


みんな怖いよ? 舞台に上がるのは。
失敗するかも。 全否定されちゃうかもしれない。
それでも歯をくいしばって舞台に上がる。
何かに突き動かされて、私たちは演奏するんだ。

今、有馬くんは、
その苦しみを音にしようとしている。
痛みも苦しみもあがいた自分さえもさらけ出して、
音に自分が宿る。
そうやって私たちは生きた音を奏でる。

その埃を取り払ってくれたのは、君だよ?
苦しそう、か。 困ったな。
苦しいのは当たり前なんだけどな。
僕は海図のない航路を行くんだろ?
挑戦するのも生み出すのも苦しいよ?
でも、充実してる。 だから、ありがとう。
もうずっと前から僕の世界は変わっていた。
ただ気付かなかっただけ。
僕のカラダに積もった埃を払ってくれて、
ありがとう。
僕と出会ってくれて、
あの日から僕の世界は鍵盤でさえ、
カラフルになっていたんだ。

有名なバイオリニストが言ってたの。
音楽は言葉を超える、って。
音を交わすことでお互いを知りお互いを理解する。
まるで魂が結び付き、心を重ねるように。
それは楽器を通じての対話。
ハーモニーの産み出す奇跡!
その瞬間、音楽は言葉を超えるのです☆

満足のいく演奏はできないかもしれない。
でも弾くの。
弾ける機会と聞いてくれる人がいるなら、
私は全力で弾く。
聞いてくれた人が私を忘れないように。
その人の心にずっと住めるように。

隠れていた感情、知らない自分、
ピアノは奏者のすべてを引きずり出すわよ?
覚悟しなさい??

でも、手抜きなんかしてないよ?
ぶっ倒れるまで練習した。
精一杯やった。
それでも不細工な演奏なんだとしたら、それは、
それは今の僕だ。 今の、ありったけの僕だ!
モーツァルトは旅をしろと言った。
この先に何があるのかなんて、わからない。
でも僕らは歩き出したんだ。
僕らはまだ旅の途上にいる。
そうだ、僕は君と同じ、音楽家なんだ。
だから、進むんだ。

NO LIFE IS ENOUGH.

何があんたをピアノに向かわせたの?
四月のある日、
変なバイオリニストに出会ったんです。
傍若無人、唯我独尊、
でも好きな人に見せる笑顔は天使のよう。
蹴られ、殴られ、引きずり上げられた舞台には
慣れ親しんだ舞台には僕の知らない光景があった。
僕はもう一度その光景を体験したい!
だから僕は思ったんです。
変なピアニストになりたいな、、って。

僕ね、あの場所で感じたんだ。
みんな何かを心の奥底にもってるんだ、って。
ある人は敵愾心かもしれない。
憧れや願い、自己顕示欲、届けという想い、
母さんへの想い、
みんな個人的な想いに支えられていた。
無垢のままで人は
一人で舞台に立てないのかもしれない。

音が聴こえないってことは、
聴覚的な音に束縛されないってことじゃないかな?
自分の中にあるイメージ、
自分の奥底から湧き上がる音を
知らず知らずのうちに優先させているのよ。
自分の中の音、心象風景、
願いや想いを込めた音を感じる瞬間はなかった?
音が聴こえなくなる、きっとそれは贈り物だよ?
目を閉じて耳を塞いで今は心のままに弾きなさい!
あんたには十分技術がある。
自分の中にある音、
イメージする音をトレースできる技術。
それは、咲があんたに遺した思い出。





そりゃ、、泣いちゃうよ 秀作。
ずっと昔。 自分も考えていました。
自分のおどりを憶えていてもらえるように。
その人の心にずっと住めるように。
あの頃はただただ(若かった)…
自分自身が「今」をおどっていられるのは
自分におどりが何たるかをこの目に
焼き付けてくれた先人たちのおどりの体現
そして、そのとんでもない体現が
決して(大したことではない)というものです
《相反しているものを常に自覚していること》
世の人にとっては
たいしたことでもない、という圧倒的な事実
仮にそれ以上のものであったとすれば
世の中とっくに変わってるはずでしょ?
おどりはおどりなんだ、と
その程度という現実です
(決してわるい意味ではないことも加えます)
今でこそDANCEと呼ばずに
《おどり》と呼んでいますが
あの頃はおどりといえる自負がありませんでした
カタチをおどっていないものなればこそ、
自分自身を肯定させていないものを
人前でおどることなんて絶対にできません
必要なのは《おどりの肯定》です
自分自身をおどりにすることです
なにしろ下手しなくてもダンスと思われません(爆)
そのあたりのダンスをおどってないんです
わたしは子どもの頃から
知らないうちに技術を叩き込まれていません
すべては《おどりが好きだ》と自覚した時からです
それもジャンルのものを指していませんでした
これはおどりを自由にする自らの奇跡的な源泉です



自分にも失った機能がいくつかあります
フツーの人ができて自分にはできない弱点
同業者にしてみれば完全な劣等生
自分では本心からそう思っています
ですが、おどりは体自慢じゃありません
サーカスじゃないんです
おどりはその人のゆたかさ
何かをしたい衝動が弱点をアドバンテージに変える
弱点、、というよりも
それによって成長した、自己実現です
人前に出る以上、
絶対に弱い気持ちで舞台には上がれません。
おそろしいことにStageに上がった瞬間に
(どんな人からも)見抜かれてしまうからです。
だからこそ勇気がどこから生まれるか、
気付かせてくれているのかもしれない

《人に対するとき》

これです。 これしかない。
いつも、いつだってそうかもしれませんね


 < 過去  INDEX  未来 >


Taisuke [HOMEPAGE]