断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2023年12月17日(日) いのるよりもまえに

2022年6月22日


とつぜん前触れもなく闇堕ちしてしまった

 自分はどうしてこんなに
 「持っていないんだろう」

一般の人たちがフツーに持っているものを
自分が持っていない事実の沼、、、底なしだ。。
すべてのものを《手に入れてきた》友人がいる
きっとその友人は、わたしがそうなのを
思いもしないだろう
話していると、ふとわかってしまうときがある
この人、この人は、、
《すべてを手に入れてきたひと》だ、って。
そんな人にも悩みがある
悩みがあるのだ
手に入れても悩みがあるのかよ
そんな思いに駆られる
自分とは真逆の観点かもしれない
考えれば考えるほどわからなくなる
どちらがいいとも言えない
それでも自分は、自分には、、
手に入れてきたものの
その終着点《終わりに到達していること》に
圧倒的な羨ましさがある
その終わりが不幸でも、たとえ虚無だとしても
到達できていること自体が羨ましい
なにしろ手に入れてなくちゃ
そんなもの感じられない
わたし自身には、、
実は、手応えともいうべきものがありません
実生活においても 対人においても おどりでも
あるのはダンスを通した舞台芸術における、
(目に見えないもの)しかない。
実体が… ないのだ
自分には目に見えないものの豊かさしかない
それをどうにかして目に見えるように踊っている
もしかすれば 祈りにも近い、
ひとによってはどうにも見えないかもしれない、
だからこそ ここに誇りがある
そうだな…
持っているものはこれだけじゃないかな

そんなときだった


 …産まれし者よ聞け。
 生とはただ美しきものにあらず。
 生ける者は苦痛を知り、
 災難を知り、絶望を知る。
 あらゆる辛苦は降りかかり続ける。
 焼けた道を行けど褒賞はなく、
 道の傍らにはいつも、死が口を開いている。
 それらはお前を恐れさせ、
 嘆かせ、苛み、悩ませるだろう…
 だが、目を閉じてはならぬ。
 かくのごとき生を見据えよ。
 お前を打ちのめしている辛苦は、
 しかし、お前を弱くはしていない。
 ひとつひとつが
 焼けた鉄に振り下ろされる 鎚に似て…
 お前を、強き… 強き剣と、成すだろう…


ふと、声を聞いた《そのとき》
《そのとき》に
《そのとき》にだけ 響くときがある

その物語はこうも言っていた


 人の祈り それは—
 人の手が届かない部分を
 せめて想いが埋めるように、人は祈るのだ


祈りは、気休めや偽善とも呼べそうな
希薄なもののように捉えていた
それでも、できることは、、それくらいだ
自分の手の届かないところには
どうしたってどうにもならない
だから、
だから、希薄じゃないと「言い切りたい」
自分の祈りを軽薄で薄情なものにしないために
行きつく先はひとつ


 自分が胸を張れるものは自分自身だけだ


舞台人の自分の祈りはいつも誰かに向かっています
誰かに少しでも通したい
自らが体験してきた人生からわかった たからもの
それが自分を超えて流れ出るものだとすればこそ
いのりのはじまりと強度は自分自身に他なりません


ただの言葉じゃない 言葉じゃないなにか
声にしてはじめて響く何かがあります
そのとき肌で感じたきもち、きもちを超えたなにか
おどりでしか伝えられない何かがあります
(いま)(いきている)
ことばを超える声、きもちを超えるおどり
ひとと一緒にいるいま
そのことがほんとうに誰かの何かになるときがある

わたしたちが(いま)(いきている)ことを
目の前のその人が(何をもって)
(いきている)のかわかるとき
(いきている)のをかんじられるそのときに


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Taisuke [HOMEPAGE]