断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2023年12月03日(日) おどりとせんそうと

偉大な先人が言った

「おどりが何かの役に立ったらおわり」

今もわすれない、ひとつの答え
役に立つ、という実利
これが《おどり》とは対極にあるというもの
これに勝る言葉もなかなかない

人によっては「何もわからない」なんて
かるく言われてしまうおどり
そもそも「わかる」「わからない」が
おどりには当てはまらない
そして わたしたちは自分の物差しでしか、
主観でしか、判断できない
だからこそおどりなんだ
わからないからこそ知ってもらおう
わからないことを知ってもらおう
すべてを込めておどっても
どんなときも「わからない」は消せない
友だちでも親でさえ恋人でも
完全にわかる、なんてことありえない
自分自身のことだってそうじゃないか
主観によってこの人はああだとかこうだとか
何を考えているかわからない人には恐怖さえよぎる
恐怖、恐怖は、、
自分の物差しでは捉えられないからかもしれない
もしかしたらそれを超えていこうとするものが、
おどりなんじゃないかな
わからないものをわからないままにしない一歩
ひとつの勇気とも
人前で何かをすることがいつだってその一歩だ

おわらないせんそう
コロナ禍をとおしてきてもせんそうはおわらない
せんそうに対して自分にできることは少ない
直接せんそうを終わらせる手段はゼロ
おどりをかんがえた
めちゃくちゃかんがえた
おどりは見るほうにとっては難しいかもしれない
だけど、おどりにとっては非常に単純で明快だ
自分にとってはどんなときも《生き抜く》
ここにかかっている
これまでもおどりをずっとかんがえてきた
いろんな人のダンスをおどりを見てきて
そしていつもいいおどりに思ってしまうことがある
「いいなあ、こんなふうに自分もなりたい」
実は、そうじゃないときも多々ある
そんなときにふと気がついた、、
むしろそうじゃなかったからこそ気がつけた
舞台にはせんそうと真逆のものが、、ある
それに気がついたとき
せんそうに対するひとつのこたえを感じた

舞台には頑張っていない人がいない

この絶対の事実がかがやいています


そんな人たちのことがたまらなく好きだ
いいとかわるいとか
かっこいいとかわるいとか
技術とか才能とか
わかるとかわからないとか
そんな物差しでは計りきれないほど圧倒する
こんな人たちをどうしてころせようか


人にはかがやきがある
そのかがやきが一人一人にあるのを知ったら
もう舞台上のことじゃない


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Taisuke [HOMEPAGE]