断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2022年06月01日(水) 開眼

(著しく現在のことのため数日UPになります)


とつぜん
自分がやりたいことが わかった

でもこれはとうとつにわかったことじゃない
いつもどこかで
かんがえにかんがえていたものだった

つい先日
某クラシック全幕の
自分が出演する場面の振りうつしに出向いた、
そのときに圧倒的に感じた圧
言葉にするなら…

「このとおりに踊ってくれればいいから」

そういった《仕事》の話だった

これは《おどり》なのか

自分にとってこれはおどりなんだろうか

激しくうたがった
うたがってしまった

もちろん見たままを捉えるなら
おどりには見える
だけど…

はっきり言えることはひとつ
これこそがプロの世界だ

自分がそこにいられるのは
わたしを推挙してくれた3大先生のひとりの
某先生のおかげだ
出向いたからには責任が伴う
大先生の顔に泥を塗るわけにはいかない

そうはいっても
クラシックは今の自分には出来ないことしかない
どんなことをしても痛みが出かねない
いつもいつでも不安がよぎる
先生の要請に応えるために
大先生の厚意でレッスンに参加できることとなった
5月17日。
リハビリ4年目にして《初めて》
クラシックのレッスンに参加できた
もちろんレッスン前には2時間くらい準備した
なにしろ痛みが出たらそこで試合終了してしまう
ただ、今の自分は通院卒業レベルに到達している
こればかりはホントウのことだった
そして5月31日。
左脚を軸にして初めて
患部を、術部を軸にして初めて
ピルエットができた―
無意識にやってしまった、というのが正しい
たったの1回転だったけど
自分にとって この1回転は
(ただの)1回転じゃない

 まる3年ぶんの回転だった

これまでの時間からはありえないくらいの事件

この事件はきっと誰にもわかってもらえない、
そんなものだろうか
そうだ、自転車に初めて乗れたアレなんだからw
そして、その1回転でとつぜんわかった

《自分にとってのダンスはこの1回転のことだ》

ダンスは
決してできることをすることじゃなかった
そして
その先も見えた

《これを受け取ってもらいたい》

自分がやりたいことは
できることを
見てもらうことじゃない
その場所で出来ることを探すことだ

どうやったら成長を
どうにかして《そのおどりを獲得すること》
それを見てもらうことができないだろうか


このおどりには弱点ともいうべき欠陥がある。
その欠陥は 先ほど述べた、
(出来ることをする)じゃない、
ということに尽きる。
いつもいつでも挑まなきゃいけない種類
それに決して答えがあるわけじゃない種類
その答えを、その場所で、見つけるおどりのこと

見つけるおどりは限りなく冒険に近くて、
本当に(見つけるおどり)になる。
カタチが見えるかどうかさえわからない、
言葉にしようとするなら
(曖昧なおどり)とも言えようか。
これが、カタチを踊りと見る人にとっては
完全に相反するものに見えてしまいかねない

ただ、そうだ…
自分がおどりたいのは
感動させたいものじゃない
自分のこころの動きを刹那を
ただただからだに流す
その時間に
その場所で湧き上がった
自分の何かを
そのすべてを
受け取ってもらいたい
その何かがホンモノだと信じて

今までの公演でも
出演者の仲間たちには踊ってもらったり
その人に無理矢理にでもやってもらうのは
あの1回転を
感じてもらいたかったからだろうか
だって自分だけじゃない
それを見ている人にだって
伝わらないはずがない
その顔に 表情に ダンスがあるんだから


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Taisuke [HOMEPAGE]