哲学書と自分を通したまとめです
『エチカ』
人間にとっては 人間ほど有益なものはない。
これこそ本当に真理じゃないかな。 誰かがいるからこそ(わたし)ですよね。 人間関係が面倒くさいなんて 年を重ねるごとに思いがちですが、 そんなのは《最初から》そうですよねw 人の間で生きていくかぎり避けようがない! 俗世を離れて洞窟で悟りを開かないと無理! しかし、引きこもっていたりすると 逆に だんだん自分がわからなくなってきます そんな時に誰かにバッタリ会ったりしたら 光が射したようにパッと自分が顕れますよね?? 誰かによって生かされているのは自分なんです☆
見栄を張ることによって 虚栄心があるからこそ 誰かに対しての自分が確立するのかもしれません
2018年12月『人生論ノート』より
虚栄は人間の存在そのものである。 人間は虚栄によって生きている。 虚栄はあらゆる人間的なもののうち もっとも人間的な部分である。
何回読んでも唸ってしまいます。。 虚栄というと悪いイメージがよぎりますが、 それを(人間的)なんて捉えたことはなかった! わたしたちの個性は、 虚栄心が大きく関わっているのを感じます。 (あの人にこう思われたい) 虚栄にはそんな自分の俯瞰があります。 虚栄には自分の理想があります。 そんな虚栄心をホンモノの向上心とするには 浅はかな虚栄を打ち破らなければならない、 と書かれていました。 最後には、こう記述されています。
他人の目に映る自分ではなく、 《なりたい自分への努力》
読めば読むほどイタイところを突かれる! でも、こういうのを たまには自分に 突きつけておかないと危険ですよねw
『エチカ』
理性に導かれる人間は 恐怖によって服従に導かれることがない。
一人一人の自由を尊重する社会があって はじめて人間社会は長続きしていく、 そこからみんなで守ろう、って決めたルールを 守って生活すること。 個人の本性を抑圧して、 圧し潰すようなことを国家がする限り、 周りに対して慮る気持ちを、親切心を、 人は持てなくなっていくだろう、と。
わたしたちは人権がある社会に生きていますが そもそも人権を奪われている国に生まれたら 何も感じないかもしれません。。 やっちゃいけません、だけかもしれない。 わたしたちがそれはダメだろ、って言えるのは (知っているからこそわかること)のはずです。 これも自転車に乗れるみたいなものかもしれない
あらためて(知っていること)の重大さを感じます 知っていなくちゃ疑うこともできません!
現代では民主国家よりも専制国家が増えています。 そうなの?と自分の耳を疑ってしまったほどです。 わたしたちが守るべきルールを、法律を超えて、 国家が個人を処罰できるようになったら… もうわたしたちにできることはないかもしれません 法律が守ってくれない国家は危ない。 なんのための法律か、ほとほとわからなくなります
人間が人間である限り、善悪は隣り合わせ。
そもそもルールというのは、 わたしたちが(守りたい)ルールのはずです。 一体いつから そのルールを誰かに委ねるのに慣れてしまったのか 他人事に、認識するだけに、成り果てたのか 自分が考えもせず批判ばかりするようになったのか 考えれば考えるほど怖くなります
いきなり踏みにじられる命があったりしたら アンネ・フランクじゃないか。。 これは、それを学んできた、知っているのなら、 絶対に防がなくちゃ なんのための日記なのかわからなくなります
過ちを繰り返すのが人間というなら 過ちを繰り返さない努力が人間のはずです 自身にそれがもし本当にできないなら 誰かがたすけてくれる社会でなくちゃ 胸を張って生きられる社会は 胸を張って生きたい社会だと言えない気がします
わたしたちには いつも その選択が 突きつけられているのだと 思うのです
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