わたしたちにはいつも選択肢がありますよね 頭を使うべきときと 頭よりも行動すべきとき
その優先順位の決断の選択肢が。
自分が大事にしているのは その選択肢の苦手な方を試すのをやめないこと 苦手な方というのは いつだってつねに《可能性》です 思い込みをホンモノの思い込みにしないために 信念をホンモノの信念にするために エチカ最終回いきます☆
人生において何よりも有益なのは 知性ないし理性を できるだけ完成することであり、 そしてこの点にのみ 人間の最高の幸福 すなわち至福は存する。
スピノザと公共性
人間にとっては 人間ほど有益なものはない。 あえて言うが、 人間が自己の有を維持するためには、 すべての人間が、 すべての点において一致すること、 すなわち すべての人間の精神と身体が一緒になって あたかも一精神一身体を構成し、 すべての人間が共々に できるだけ自己の有の維持に努め、 すべての人間が共々に すべての人間に共通な利益を求めること そうしたこと以上に 価値ある何事も望み得ないのである。
理性に導かれる人間は 恐怖によって服従に導かれることがない。 むしろ彼は、理性の指図に従って 自己の有を維持しようと努める限りにおいて 言い換えれば、 自由に生活しようと努める限りにおいて 共同の利益を考慮し、 国家の共同の決定に従って 生活することを欲するのである。
「近代の政治思想には、 恐怖によって人間を服従させなければダメだ、 という考え方があります。 例えば、スピノザと同世代の ホッブズがそういう哲学者です。 でも、スピノザはそういう社会ではダメだ、 と考えたのです。 一人一人の自由を尊重するような社会があって はじめて人間社会は長続きしていく、 そこからみんなで守ろうって決めたルールを 守って生活すること、 個人の本性を抑圧して、 圧し潰すようなことを国家がする限り、 周りに対して慮る気持ちを、親切心を、 人は持てなくなって社会がダメになる。 だから、ある意味では、 自分のことをしっかり考えられる人が 集まっているときに社会はうまくいくし、 他人のことも考えられる。 個人主義、って言葉の意味を 考え直してもいいかもしれません。
(自分のことを大切にできる人は、 他人のことを大切にできる)
哲学は万人のためのものなんです。 スピノザは みんなにしあわせになってもらいたい、 みんなに自由になってもらいたい、 ってこのエチカを書いています。 だから、みんな 一人一人が エチカの見方を持っていていいと思います」
わたしたちが心豊かに生活ができる、というのは 《みんなが生きていい世界》があって はじめて成り立つと考えます なにしろ出会う人たち全てが生まれてきたんだから そもそも好き嫌いは超えていくものだと思うのです 好き嫌いを超えてこそ人間なんじゃないでしょうか だってここには(赦し)がつねにあるからです
そんな中で豊かさを諦めないためには 可能性があることを (知っている)ことだと思うんです!!
いつもいつでもその選択肢には逆がある! これしかない、というのはそもそもないはずです。 舞台でもそれぞれに見え方は変化します 見え方が底知れないダンスには可能性しかないw おどりは決して娯楽のものだけではないんです むしろ目に見えないものの方がダンスかもしれない それを丁寧に真摯におどっていきたい
(知っている)を(体得)してそれを(実践)する
エチカではそれをあらためて学びました そして、そのことは、この土台は 我々みんなが(知っている) (当たり前)のもののはずです。 じゃあ、あとは― やるだけじゃない☆
いいおどりを踊るためには踊れるためには 良いことも悪いこともどちらも 生きている限りは、 生きようとする限りは、 もっともっと(今)を深く認識したい
今、目の前にいる人を 今、踊っているこのおどりの その密度を
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