エチカを通した自分について
エチカ(2)の最後。 自殺したいきもちは その人が持っているチカラと比べたときに、 とてもその人のチカラでは対応できないような 大きな出来事や原因によって (圧倒)されて引き起こされる、というものでした
自己の本性に反する 外部の原因に強制されるのでなくては 自己の利益の追求を、 すなわち自己の有の維持を放棄しはしない
生物としての人間をかんがえると そうだ、そのとおりだ、と思ってしまいます 食べること寝ることを放棄するはずがない しかし、未来に読むことになる、人類最強の書 『夜と霧』には、 現実に圧倒された人たちの最期が書かれています 夜と霧は誰もが(知るところの)強制収容所のもの しかしながら(知る)のと(実体験)では 逆立ちしても捉えられない地獄の現実があります 経験は善悪では決定できないし ホンモノの学びは体験を通さざるを得ませんが それでも経験しないほうが 学ばないほうが 幸福なこともあります それを夜と霧は教えてくれます 夜と霧に書かれていたのは、、
自己の有の維持を放棄した人間 自殺したいきもちをも超えてしまった人間 その姿です
これは、、こればかりは、、想像を絶してた 想像では決して捉えることができない現実 人間には、そんな現実があるんだと それを知ってしまうのは 知ってしまうことが途轍もなく苦痛でした
しかし《だからこそ》がうまれるのも本当です
たとえ文章でも、それを知ってしまったら 自分がどう在りたいのか 問わざるを得なくなります
(知る)ことをどうつかうか 忘れてしまうのも これからのチカラにできるのも すべてはわたしたち次第
たくさんの結末を学べば学ぶほど人生は迷路です わたしが経験していないことを あなたは持っていますし それがすなわち人生の豊かさです だからと言ってわたしたちの経験すべてが 豊かさが いいものであるとも言えません わたしにはいいものに見えても 人にはいいものじゃないなんてざらです それでもわたしがわたしを謳歌するためには なかったことにはできません 胸を張れる自分でいるためには、 失敗や過失を嘆き終わったあと それを強引にでもいいものにする努力です 今日よりも明日をいい日にしたいから 行き着く先は《自己肯定》できるかどうか (承認欲求)よりも(自己肯定) そう思います 生きよう、生きたい、という自分(が) あるのなら、他人から見られる自分よりも 自分が自分自身で有ることが先です
人間の心は、 自己の有の維持を放棄できるほどの 自分の生命活動を放棄できるほどの 度を超えたチカラです 自分の大切なもの好きなものだけに すべてを注ぎこめる 注ぎこめてしまう ある意味、これ以上危険なものは ないかもしれません 思い込みと信念は常に隣り合わせ それでも わたしたちの人生を わたしたちの人生にしてくれるのは これなしには考えられません 生きて死ぬことに関してどんな生物も同じなら、 決定的に違うものこそが真実 それを大事にできなくてどうする!!
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