断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2019年01月07日(月) 「エチカ」(1)

勉強したものが面白かったので
シェアしたい学びシリーズです☆
この長い断罪blog投稿の歴史の中で、
正直、相当昔からやってきました。
一部の人には、、
長すぎて読まれもしないシリーズですねw
一部の人には吊るし上げられますが、
ここでは全力で歯向かってきました! 笑笑
内容によっては数日回に渡ってさえ
盛大に記し上げるシリーズ(爆)
なぜやるのか
それは、
大きな発見があるからです!!
気付いてはじめて人間は成長できる☆
今回は―


◎生きるチカラがもらえる哲学◎

 『エチカ』 スピノザ


17世紀オランダの哲学者スピノザは、
レンズ磨きなどで生計を立てながら
(人間が幸せに生きる道)
(神について)考えた―

その考えはユダヤ教にもキリスト教にも
そぐわない、異質なものであった。
結果、異端、無神論者と罵られ、
生涯、名声を得ることはなかった…
しかし、彼の死後、出版された『エチカ』
その思想は、後の哲学者や科学者に
多大な影響を与えることになる。

自分の人生で手に取ることがまずないだろう本。
これを某番組を介して勉強していますw
見たのは2018年(涙)
やっぱり2018年はまだありました―
ちくしょう やりますよ
やるしか、、ないんですよ!!


先生は言います
「僕らとすごく考え方が違うところが
 あるんですよね。
 スピノザ哲学は数ある哲学のなかでも
 OSが違うんです。
 スピノザ哲学を勉強していくときには、
 自分のOSとどこが違っているのか、
 気づくことが大切です」


スピノザは44才で亡くなったあと
友人たちが遺稿集を出版するも
やっぱり異端とされて発禁に。。
ここにおさめられていたのが『エチカ』
(エチカ)とは(倫理学)という意味。
当時、無神論者には
人権がなかったのがかるく想像できます。
人間社会のおそろしさを感じてしまう…
スピノザが明らかにしようとしたのは、、
この(世界)や(人間の性質)でした
その考えの出発点になったのが《神》


神は唯一絶対にたしかな存在で無限である。
すべてのものは神の中にあり、
すべては神のあらわれだ。

スピノザは神をこのように説明した


「神とは、絶対に無限なる実有、
 言い換えれば
 おのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に
 多くの属性から成っている実体、と解する」


先生がすぐさま注釈をしてくれます
「神さまっていうのは絶対的な存在ですよね?
 とすると、、
 《神さまは有限なはずがない》
 制限を受けないのを神さまだとするならば、
 《神は無限》なんです。
 つまり、、

  神は無限である
   ↓
  ならば神に外側はない
   ↓
  すべては神の中にある
   ↓
  私たちもみな神の一部である

 スピノザの場合は神さまはひとつですが、
 すべてが神の中にあるし、
 ひとつひとつが神のあらわれです、って考えです
 これって、、
 神って云われているものが、、
 ほとんど《宇宙》って意味にちかいわけです。
 Deus sive Natura 【神即自然】
 神という言葉は使っているけれども、
 自然科学的な発想だったんです」

スピノザの考えは汎神論のため、
人格神でなかったために異端とされたのだ…
なにしろ、カミサマはいるようでいないのだから

「有名な話では、
 アインシュタインがこう言ったそうです。
 《私はスピノザの神を信じる》」




善悪について


あなたの善悪はなんですか??
わたしの中での善悪はこうです
《つづく》が善
《おわる》が悪

スピノザ『エチカ』はすごいですよ!


エチカ
「我々の活動能力を増大し あるいは
 減少し、促進し あるいは阻害するものを
 善あるいは悪と呼んでいる」


活動能力ッッッ!!!
(活動)(能力)これは考えたことがなかった―
いいなあ
これはいい☆

ここにたどり着く直前、こんなものを通った

エチカ
「人間が自然物を完全だとか、
 不完全だとか 呼び慣れているのは、
 物の真の認識に基づくよりも
 偏見に基づいていることが分かる」

(たとえ)
 生まれつきツノが片方しかない牛を見た時、
 牛の一般的観念と比較して
 不完全な牛だと人間は思うのです

人間はあくまで一般的観念に基づいて
完全か不完全かを判断しているが、
自然界に完全なものと不完全なものが
あるわけではない
あるものすべてが《完全》なのだ
完全でなかったら存在していないはずである
わたしにも事故で失ったものがあるが、
失ったからといって不完全ではない
(わたし)は(わたし)なのだ

先生は言った。
善悪は 基本的に《命令》と結びついている。
→やっていいのが善
→やったらダメなのが悪
しかしスピノザはそれじゃあない、という
発想に基づく、
一般的観念ではないものだと説明する。


 エチカ
 「善および悪の認識は、
  我々に意識された限りにおける、
  喜び あるいは悲しみの感情に他ならない」


喜びを高めることが善
それは、その人その人で違うものなのだ
誰にでも同じ善悪は当てはまらない!
ここを通り抜けてしまったら、、
善と悪は決められない!!
なんてこった


善悪なんて、日々の生活で
まず考えることもないやつです。
一部のひとにはこっぴどくバカにされるような
話題かもしれません。
でも、その善悪を、自分にとっての善悪を
取り出して はじめて、分かることもある。
自分を前にすすめられることがあります

これこそが人間のすごいところだと
人類のすごいところだと思えるのです


「賢者というのは、
 色々な楽しみ方を知っているひとのこと」
                スピノザ





折りしも戦争が引き起こされている現在
外側をつくる、境目をつくるというのは
どうしても可能性を摘んでしまう気がします
人間はこうである、
日本人はこうである、
社会はこうである、
世界はこうである、
私はこうである、
そんな思い込みが、一般的概念が
わたしたちを縛っているのだと思います
物事を複雑にしているのはわたしたち自身
わたしが わたしたちが
そのいのちを全うできること
いのちを謳歌できる世界を
わたしたちはイメージできますよね!
人間はイメージできるものは《実現できます》
逆を言えばイメージできないものは
決してできません
リハビリをしていても
自分のカラダができないものに対しては
ジャンプさえイメージできなくなります
不思議ですよね
不思議なのはイメージがとおったとき
壁が「なくなる」ことです
乗り越える、なんてことはしません
とつぜんに「無くなる」んです

わたしたちは
思い込みではないイメージを
自由を
決して忘れてはいけないのだと思います


つづく


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Taisuke [HOMEPAGE]