「見知らぬ誰かのために」 想いのその先にある現実は、 人生を重ねていけば自動的に突きつけられる 自分の知らない人の死 それに本気で向き合うことができるのか 自分の見知っている人たち以外の人を 会ったことも話したこともない人のことを (大切)と出来得るのか これは非常に難しい いのちは取り返しがつかない だから(大切)と言い切れる しかし大切の強度が密度が決定的に異なる うしなったときにそれが猛然と襲ってくる 自分が感じていなかったほどのものかもしれないし そうでないかもしれない 最近 それを知ることが極端におそろしい 自分が知ろうともしなかった真実が 自らのうちに完全に明るみになってしまう 自分にとっての大切さの重みを悟ってしまうからだ
医療の現場で研修を重ねたことがある
自分が関わった人が、人たちが 次々と亡くなっていった その時に自分を保てるか問わざるをえなくなった ある意味で自分のこころを止めなければ その度に何もできなくなってしまう しかし、その人を(にんげん)として 対等のあいだであろうとすればするほど こころから対したいと思ってしまう
この葛藤が非常に厄介だ
こころが破られてしまえばうごけない できることもできなくなってしまう 何度も何度も何も手につかなくなってしまった 仕事だ、と決めなければならないかもしれない ただし決めてしまうと何かが置き去りになった もし置き去りになったまま年月を重ねたら… 取り戻そうと思ったときには もうその何かを忘れてしまっている気がした
そもそもにんげんとにんげんのあいだのことを こころなしにできるだろうか
ここで進退が決まった
どうやら自分は(わりきる)ことができない もちろんそれなしに働いている人たちもいる それでもその時の自分は、自分には 《割り切らないと何もできない》 そう直感した
割り切った人たちの顔には決定的な表情がある あまり(こころ)が動かないのだ だから、会話を重ねても本心にたどりつけない その状態を自分自身で切り替えられればいいが ほとんどの人はそうはいくまい 見えない年月がいつの間にかこころを侵食して 本当に喰われてしまう
わたしを指導してくれた先輩の原点は 大好きだった(おじいちゃんへの想い)だった あの時ほど原点の重さを思い知った衝撃はない あの頃はわたしも五体満足だったし 夢や希望にも溢れていた 強烈な何かを持っていなければ、 いけないわけではないけれど 持っている人には決して敵わないと知った あの先輩は今でも笑顔でいるだろうか 誰に対してもこころが見つけられる笑顔だった あの時、わたしは敗北感と一緒に 圧倒的な尊敬を抱いた 自分もそんなふうになりたい そう強く予感した もし、もしもそうなれるなら 自分にもそんな原点を探したい 原点がきっとあるはずだ 短くない自分の体験と経験で それを本当の意味で見つけようとしたことが このときまであったか
ここにたどり着くまで決して長くかからなかった だって(いのちのげんば)に身を置いていたからだ
最近ある人と話していると いつも同じ進捗でうやむやにされるのがわかった 話題を意識的に逸らそうとするからだ 何かを一緒にやろうとするときに 《決して避けてとおれない原点》 その人そのもののような原点からうまれた 今現在のその人そのものを受け取りたい 何かをしたい、その熱量がどこから来ているのか それがたとえ興味本位や探求であっても 誰かの前に立つなら最終的に、目の前の人に (ナニヲツタエタイノカ) (ナニヲウケトッテホシイノカ) ここに行き着かない たどり着かないのは嘘だ
何よりもそのためにカラダを張っているのだから
ダンスは特に困難が大きい どんなにその想いをうちに秘めていようと おどりを見る側の受け取り方に委ねられている 複雑なその感性の強度は誰もに認識してもらえる、 ことばのように凝縮できない 感性のすべてを「完璧に」ことばにしようとしたら 嬉しい楽しい苦しいの一言で「絶対に」収まらない 言葉にできないからこそ複雑を体現できるのも道理 なにしろ、正確にそれを踊れようものなら そのおどりがそれ自体だからです ここは、これだけは、困難の真逆 ダンスの本懐といえる
それを超えてはじめて、 よくダンス公演で叫ばれる 「複雑」「わからない」が 「そのとおり」なのだと それを踊っているのだ、と自負することになる 自分でもカタチがわからない(こころ)を そう簡単に友だちでもない他者に それがわかるとでもいうのか しかし、しかし、、 それをおどりに託しているのだ それを全力で踊ってきた
なにもわからずにやれてしまった、 なにを伝えたいかもわからずに、 たのしくやれてしまって、 それが受け取られてしまうようなら天才の仕業だ それは途轍もなくしあわせなことでもあるけれど ある意味では考えなしの無責任ともいえる わたしは天才ではないし不器用なので その言葉にならない芸術の、 ARTの、突き合わせがほしい 逆にいえばその突き合わせからしか わたしたちに(しか)出来ないことは生まれない 誰かと一緒にやるのは簡単でも その誰かとしか出来ないものを取り出すには 一緒にやってはじめて生まれるものなら それが本当にやりたいなら 困難と努力は当たり前のことだ
一体その人にとって何が大事なんだろうか それが知りたい その人そのものが知りたい それさえわかったら何だってできる そこに寄り添う方法は無限にあるからだ その道筋を(いまの自分に沿っているか) 片っ端から潰していけばいい
目標さえ見失わなければ絶対に手繰り寄せられる
ゆめ
《その人の夢や希望になりたいゆめ》
これだけは自分ひとりでは決してかないません その人の力に、その助けになりたい 夢と希望はその人のうちにあるもので、 ゆめはその人との(あいだ)にあるからです
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