断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2018年12月07日(金) 「人生論ノート」

テレビ番組で取り上げられた本のこと。
書かれたのは、自由に言葉を綴れない戦時。
著者はその思想から牢獄に捕らえられて
そのまま獄中で命を落としています…
それも、、終戦の日の、前日に

 もうこれは、この文章は 命にも等しい

哲学はそもそも難しい認識ですが、
この時代はさらにわかりにくくしなければ
出版もままならない時代だった。
したがって、衆生のために書かれた本でありながら
文章はさらに わざと困難にされているらしい。
それでも伝えたいという強烈な何かがなかったら、
きっとこの世に残っていないはずだ!!





【実践の哲学】
番組で、指南役ゲスト哲学者先生は言います。


「この本を読んで人生が変わらなければ意味がない

 哲学の本とはそういうものだ―

 少しでもそこに生きるヒントがあり、

 本を読み終わったときに既にこの人生が、

 この世界が変わって見えるというような

 本でなければ意味がない」



それは、信じるものであるのなら、

どんな人も同じ境地にいるはず

自分にとってはダンスです

ダンスを見終わったときに既にこの人生が、

この世界が変わって見えるというような

ダンスでなければ意味がない!
なにしろ、ダンスで本当に人生が変わっています
哲学者の先生もその通りではないでしょうか
人生が、世界が、変わる。
そんなチカラを身をもって知っているからこそ
自分を、自分自身を裏切るわけにはいかないのです





 『人生論ノート』 三木清



  人間はいかに生きるべきか



  どんな状況下であっても

  人は幸福を求めていいのだ

  我々は、
  幸福とは何かをしっかりと考えるべきだ


あらゆるひとが戦争に駆り立てられて、
幸福を語ることができなかった時代
時代を超えても今現在にも当てはまってしまう
どこに幸福の在処があるのか
一体どういうことなんだろう
戦時中にこれほど追求された本があってなお
人間は、、成長していないのか





 現代人の心理の無秩序

 この無秩序は、自分の行為の動機が

 幸福の要求であるのかどうかが

 分からなくなったときに始まった。

 幸福の要求が

 今日の良心として

 復権されなければならぬ。





個人よりも社会を優先しようとする考え方に

なってしまうと全体主義、あるいは

ファシズムにつながることに警鐘を鳴らした。

幸福への要求が抹殺されていた時代です。

しかし、個人の幸福が蔑ろにされている状況は

今現在にもある。





 幸福は徳に反するものでなく

 むしろ幸福そのものが徳である。

 我々は我々の愛する者に対して、

 自分が幸福であることより

 なお以上の善いことを

 為し得るであろうか。





ここには、、グッときてしまいました

唸ってしまった

たしかに… そのとおりじゃないか

誰かに対して

自分が幸福であることがすべてじゃないか

これはダンスで、舞台で、

最高の自分を見せることと同じだ

相手に対して

誰かに対して

自分ができる唯一のこと

本当に相手と向き合うためには

自分が自分自身であることしかできない
(不確かな自分では誰にも向き合えない)

この幸福には、ただ呼吸をするだけでは

届かない気がします

自分が自分であろうとしなくては
そうだとしたら

幸福には努力が不可欠なんじゃないのか

だって、自分がなりたい自分になろうとしなくては

幸福になれないじゃないか


この本はすごい

自分がおどりたいとおもっているものが

そのまま文章にされていた





 成功と幸福とを、不成功と不幸とを

 同一視するようになって以来、

 人間は真の幸福が何であるかを

 理解し得なくなった



 成功は《過程》であり、

 幸福は《存在》である。





う、、唸るしかない!

この本すごい

世界が変わって、、おかしくない!!



 幸福とは各人にとって《オリジナルなもの》



これはそのままこうなる



 ダンスとは各人にとって《オリジナルなもの》



誰でも おなじもの があてはまらない

◎幸福も 人生も その人に委ねられている◎

つまり誰もが幸福を、人生をつかめるはずだ☆

しかし、、
その幸福は何もしなくても自分になるのか?

人生をつかもうとしなくてつかめるのか??

ここは、ここだけは決めなくちゃならない

自分自身を知らなくちゃ始まらない

その努力なしにこの幸福はあり得るのだろうか





 幸福は人格である。

 ひとが外套を脱ぎ捨てるように

 いつでも気楽にほかの幸福は

 脱ぎすてることのできる者が

 最も幸福な人である。

 しかし真の幸福は

 彼はこれを捨て去らないし

 捨て去ることもできない。

 彼の幸福は彼の生命と同じように

 彼自身と一つのものである。


 この幸福をもって彼は

 あらゆる困難と闘うのである。

 幸福を武器として闘う者のみが

 斃れてもなお幸福である。





幸福感と幸福はちがう。

幸福は、、
幸福とは、感覚的なものじゃなかった






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