| 2018年11月19日(月) |
「リアリティのダンス」 |
それは、かつて見に行きたかった映画でした― なんだよ!レンタルあるじゃんッッ 記憶が一気に押し寄せる!!
『リアリティのダンス』 その時 少年は、世界を見た。
世界を熱狂させた巨匠、 アレハンドロ・ホドロフスキー、85歳。 23年ぶりに作り上げた、 残酷で美しい人間賛歌。
シネコンで放映されないようなマイナー映画です。 しかし、《ダンス》というのが目に入る。 職業的に目に入って、引き返せなくなる。
いったい《どんなダンス》なんだろう
しかし、、あの頃 劇場に足が運べなかった。 忙しかったのか、足が動かなかったのか… 劇場公開されていたのはたしか2014年。 その時から頭の片隅に残っているのだから 我ながらすごい これは避けられない
3年か4年!?
その期間を楽しめるようになったのは 年月の力だと思えます。 わたしはいつまででも(その時)を待てる。 そしてその時出来なかったことは今やろうとする。 できないことは増えていく一方かもしれないが、 できることに関しては片っ端から潰していける。 これは《大人のチカラ》かもしれない。 正直、こうして3年前のことを書いているのも 特殊能力なのかもしれない 友人に「お前すごいよ異次元だよ」と 言われてそれを知りましたw あまりにも自分にとって当たり前のことで。。 毎度書きますが、これは幾たびも苦しい場面を 通り抜けてきた副産物です。
憶えていたい、そう心底思っています
今回のメモはなんとタイトルしか残っていません! もうこれは行くしかないw 行くのは「自分の記憶の在り処」です 笑笑 さあ今が(その時)だ!!
『リアリティのダンス』では、、 登場人物、全員の頭がおかしいみたいだった。 とにかく行動が全部あやしい。 全員が全員、極度の一本気。 熟考なんてしませんしてませんw 考えてるような「間」がまるでないんです! 思い立ったら気がついたら即、行動です。 悩む前に行動してる感じです。 そしてその行動がガンガン不幸を呼び寄せます。 主人公の父は度を超えた信念の男でしたし、 母は自らを聖母と思い込んでおり、 その会話ぜんぶが歌でした 一人だけミュージカルです 周囲のツッコミは一切ありません 当たり前のように全員が奇行です みんながみんなキチガイの喜劇のようでした… なんだよこの世界 全員こんなんかよ― リアリティの困難でしたw 現実とは程遠い度を過ぎたキワモノ しかし、これがかなり興味深い。 中盤くらいまで進んで、、気づきました 映画を舞台として見るとこれが成立しています なるほど、現実も、現実でも わたしたちの行動は見ようによっちゃあ すべて奇行です 映画ではそれが突き抜けていますが、現実に わたしたちもそれぞれが道化のように生きている ふしがありますよね?
もしかしたら現実も《そうかもしれない》
現実を極端に取り出したらこうなるかもしれない 登場人物の行動と言動は 一般人のそれを軽く突き抜けています もっとも凄惨なシーンでは 主人公の母がおしっこを《聖水》と言って 夫にぶちまけるシーン あれには、、目を疑いました 狂乱の中の最大の奇行でした でも、、その場面に至るまでには 彼らが道化ではないことに気づいています 奇行ではなく0か100の100なだけでした 《全員が生きていた》んです
なんてこった
《生きている》というのは◎★※と紙一重かよ 序盤から終盤まで人はバンバン死にます それも呆気なく無意味に そして意味ありげに死んでいきます そのうちに、もう考えざるを得なくなります なぜ人はいとも簡単に死んでしまうのか 神はいないのか 主人公はホドロフスキー自身のようです どんなに残酷な世界だとしても その登場人物たちは《生きていた》 決定的に《生きようとした》 その生きようとする姿が、、
その凄みが 美しかった
美しい映画なんて口が裂けても言えない映像に 美しさが現出しています!! 美しさの意味が、中身が、違うッッ カオスが混沌の映像でしたが これは人間が人間であるからだ、と感じてしまう! わたしたちはそれぞれ奇行をしています それも毎日それぞれがしているわけです ただ問題なのは《生きようと》しているのか ここに直視せざるを得なくなりました
登場人物が奇行を全力でやっているからです
リアリティのダンスにはチカラが漲っていました それは生きるチカラのような気がします もしかしたらほとんどの人が 「何なの?この映画??気持ち悪い」 なんて言いそうな気がしなくもありませんw でも、この(気持ちわるい)というのは (生きてる)とほとんど同じ気がするのです だって、、わたしたちが知る《天才》とやらの 全員に 気持ちわるい、行き過ぎた何か、を 感じるじゃないですかw 気持ちわるい 度を超えた何か それは見え方・印象の違いなだけかもしれません 生きるなら、、道化はごめんです☆
この映画の冒頭には監督の独白が入ります。
「自分がよそ者に感じる現実の世界では、 苦しみと喜びの横糸ですべてが繋がっている」
そして原作の自伝書籍 『リアリティのダンス』はこう終わっています。
「愛とはなにか知らない。 そして、私は君の存在に打ち震える。 衝撃を避けることはできない。 だが、どうやって耐えるかは知っている。 何をしているのかわからない。 だが、私の行為が私を創る。 自分が何か、私は知らない。 だが、自分がなにも知らないなどとは、 私は言わない」
この映画はたしかに《ダンス》でした 何かを受け取らないわけにいかないんです この映画は自分のつくりたい、 おどりたいダンスとほとんど同じだった
何が何でも生きる
この映画は衝撃的すぎてオススメできません ですが、この衝撃というのは これまでの世界の見方が変わってしまうような そんな衝撃です 「その時 少年は、世界を見た」 監督が見た《世界》とは、、 《人間讃歌》そのものなんじゃないか 最後まで突き抜けた先にそれにぶち当たったんです 物凄い映画でした 感動と言って差し支えない 見ることができて よかった 劇場で観られたら もっとよかった
3年間 片隅にあった記憶に感謝しよう☆
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