断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2018年08月08日(水) 戦争童話「ウミガメと少年」

8月。この月以外で戦争のこと
書くことない気がします

 だから 書こう!!

それは、、恐ろしいまでの完成度でした
しかし戦争は、その現実が、、どれほどのものか
まったく想像を超えてくるものだと
いや… 想像さえできないものなんだと
感じざるを得ませんでした―


 『ウミガメと少年』

 平和だった沖縄が激戦地となったため、
 疎開することになったテツオ。
 疎開先で友達になったノリオと花子。
 楽しい日々を過ごしていたある日のこと、、
 米軍の空襲が激化。
 街中を逃げ回る中、テツオの眼前で爆弾が爆発
 ノリオも花子も命を奪われてしまいます。。
 逃げ延びられたのはテツオひとり。
 ガマ(自然壕)に逃れたテツオは浜辺に、
 産卵するウミガメが目に入ります!
 「いつか一緒に見よう」
 ノリオと花子、三人が
 そう約束したウミガメの産卵でした。
 その卵を砲撃から守ろうと
 テツオはガマへと卵を移します。
 無事に孵化できるように…


視聴したのは、まだ画面がワイドでない時代の
アニメーション作品です。
内容については上記のように要約されていました。
テツオはきっとウミガメを孵化させるのだろう、
そう漫然と見ていたのです。
しかしそんなラストでは《まったくなかった》
見れるものなら実際に見てほしいところですが、
この慟哭に、書かないわけにはいかない気持ちです


 テツオは空襲から逃げ延びたものの、、
 ノリオ、花子を失い、
 そして肉親、親族をも失ってしまいました
 誰も、誰もいないのです
 目の前で花子が死んでいるとわかったときの
 映像は凄まじく
 なにかを感じずにはいられなくなりました
 戦争がなんたるか思いを馳せないわけにいかない
 ことばにできない壮絶な描写でした
 そんなテツオがたどり着いた浜辺
 浜辺にはウミガメがいた
 ウミガメを見たときのテツオの希望ったら、、
 しかし何日が経過したのでしょうか
 丸刈りだった髪はいつの間にか伸びています
 それに比例してテツオのからだはボロボロでした
 フラフラで今にも体が半分に折れそうでしたが
 なんとかウミガメの卵を世話していたのです
 しかしテツオはついに倒れてしまいます
 そのとき、大事にしていたウミガメの卵をひとつ
 割ってしまった!
 テツオは、割れた卵の中身の美しさに
 時が止まってしまいます
 卵のあまりの美しさにテツオは卵をすすります
 自ら生きるために
 ウミガメの卵を食べつづけてしまうテツオ

 このお話はその姿が最後です


守ろうとして努力していたものを
食べてしまうという圧倒的なラストでした
戦争の愚かしさと
食べなければ生きられない人間のその業
ウミガメを守ろうとした、テツオのこころ
その人としての心と、、食べてしまう矛盾とが
それでも生きようとしてしまう人間の姿が
戦争のことを間違いなく教えている、
そんな確信がありました

人が《気づく》というのは
どうしてこんなに痛みや苦しみを伴うんでしょうか
わたし自身、自分が死ぬような目にあって
はじめて奥底にあった自分自身を見つけました
それまで大切にしていたものは
そこにはありませんでした
わたしたちの世界は、社会は、常識とかいうものに
見えない横暴に、囚われているところがあります
わかっていると思っている自分自身が、どれだけ
そのような世間のあたりまえに縛られているのか
あたりまえすぎて実のところ 気づきもしません

 大切なものを本当に《大切》だとわかるのは
 奪われたときです

できていたことができなくなったとき
はじめてそれを考えることをしたとき
想像ではない本物の体験がそれを真実に変えます
わたしたちひとりひとりが
それを紡いでいる者だと思うのです

わたしたちひとりひとりがたどりついた真実は
渡そうとしなくても気がつかないうちに
知らずに紡いでしまうものかもしれません
油断すると人に見えてしまうからです

 ほんとうに大切なものは
 失うことなしに伝わるのでしょうか

わたしたちはいつか必ず死にます
死ぬことを実感したとき、
生きることを考えないわけにはいかなくなります

感動は決して喜怒哀楽というところだけじゃない、
生きている というのは その全部のこと
たのしい うれしい だけでは決しておさまらない
そんな気がするのです


 < 過去  INDEX  未来 >


Taisuke [HOMEPAGE]