あれは… たまたま寄ったヨガクラスが発端でした クラスまでの待ち時間 本棚に並んでいた本の中の薄い1冊 それを、不意に、、開いてしまった―
『さよなら私』 みうらじゅん
いいこともあれば、良くないこともある。 始めがあれば、終わりもある。 そもそもは何もないところから生まれ、 何もないところに帰っていくだけのこと。 「自分」という存在があるなんて 思っているから、人生は生きづらいんだ。 自分探しや、ないものねだりはやめよう。 キープ・オン・バカ そもそも答えなんてないんだから。
この本には究極のおそろしさがあります。 それは《手放すことの開放感》 しかし読めば読むほどにこう感じられてきます
【手放しすぎるのは危険】
「自分なくし」を間違えてしまうと、 あらゆるものを投げ出してもいい気がしてきます☆ これは、これだけは危険じゃないのか しかし、だからこそ、決定的な突破口が開けます
◎みんながみんな「自分」に囚われているのなら◎
かく言う わたしも過去を救われたひとりです 身動き取れなくなった人にとっては 何よりも《心》が身動き取れなくなった人には 希望の本にもなり得るはずです
終わりあるはじめに
いくつになっても、生きることに慣れないのは 毎日が新しいの連続だからです。 似たような毎日に退屈を覚えることもありますが じつは微妙に違っていることに 気がつかないだけなのです。 人間はとかく、大きく変わりたいと 望みがちですが、それは突然の事故のようなもの で自分にとっていい、悪いは関係ありません。 まず、どう変わりたいのか? どうなれば満足するのか? を、 自分に問う必要があります。 理想的にはそのとき、 2人の自分がいると便利です。
自分A 俺はこう変わりたいんだ 自分B 何のために? 自分A そりゃ、自分のために決まってんじゃん 自分B 自分っていったい、何なんだ? 自分A …自分は自分だろ! 自分B マジか 自分A そりゃマジでしょ 自分B 自分だと思い込んでんのは結局、 他人と比較しての自分であって、 自分なんてそもそもないんじゃないの? 自分A 自分がないなんてあり得ないでしょ 自分B マジか 自分A だっているじゃない、ここに 自分B 本当にいるのか? ここに
だいたい、この辺りで頭が痛くなってきます。 頭が痛くなるということは、もうそれ以上 考えても仕方がないということ。 頭が困っているわけです。 そこまでが自分に考えられる自分ということに なります。 じゃ、そんな自分を踏まえた上でもう一度、 “オレはこう変わりたい” について 討論してみましょう。 「ネバー・ギブアップ!」は言うは易いが 行うのは大変むずかしい格言の一つ。 「キープオン・ロケンロール!」も、同様ですね 人間は激しい言葉に弱く、ついついギブアップや ロケンロールに目を奪われがちですが、 実は重要なのは《ネバー》と《キープオン》の 地味な方です。 あなたの脳は あなたの今の限界を知り尽くしています。 才能ではなく、才脳。 だから、あなたが才脳以上の望みを抱くと、 “ちょっとそれは無理なんじゃないかなあ”と、 優しく問いかけてきます。 頭ごなしに言うとあなたがキレて、 とんでもないことをし出すかもしれないからです “いや、完璧に無理だと言ってんじゃなくて、 急には無理だってことさ” 脳も必死の説得です。 そこで出された折衷案が、「徐々に」。 あきらめないで続けていると、いつか変わるかも です。 それが退屈と感じる日もあるでしょう。 たいへんだと気づくときもくるでしょう。 でも、やる。 これが変わりたいと思う人の生き方です。 始めがあれば、終わりもある。 そもそもは何もないところから生まれ、 何もないところに帰っていくだけのこと。 そんな変えようもない真理を何度も脳に 言い聞かせ、生きるって案外楽しいかもって、 逆に説得しようではありませんか。
ここから始まる著書ですが、読んでいくとこうです →「変わりたい」を奨励してるわけじゃない そもそも《私》がないんだから
脳との最終戦争
めんどうくさいのは「自分」があるからです。 それに気づいたのはつい最近のことでした。 皆さんはずいぶん前から知ってましたか? 今まで「自分」があると信じてたために、 めんどうくさいことを引き起こしてました。 そのつど後悔し、今度こそはうまくやろうと 反省するのですが、またも同じ繰り返し。 原因を追求しても我が身かわいく 「それが自分らしさ」だと開き直っていました。 こんなことじゃ死ぬまでめんどうくさいことに 巻き込まれる人生と、嘆いていましたが、 ようやく答えが見つかりました。 自分が「自分」だと思いこんでいるものは 何でしょう? ロマンチックに言えば 「ハート」ってやつなのですが、 実際は脳が作り出した幻想にすぎません。 あのトーフのような白いやつの仕業です。 うまいもんが食いたいとか、 素敵な恋人に出会いたいとか、 楽して生きたいとか、 アイツが次々に要求してくるものに必死で 対応しているのが悲しいかな「自分」です。 言うなれば脳の奴隷が自分なのです。 それに気づいたとき、脳のほうは少し「まずい」 と思い、「自分をなくしちゃ人間おしまいよ」と ささやきつづけますが、 聞く耳を持ってはいけません。 「自分なんて一切しんじないモーン」と、 言い返してやってください。 それに対し脳は理由や理屈を要求してきますが、 誘惑に負けてはいけません。 そのうち、脳のほうもあきれるでしょう。 すべての悩みの原因は 自分があると信じていることなのですから。
ここだけで当時、かなり救われました 何だか妙な説得力がありますよねw みうらじゅんは仏教の独自解釈がすごい。 ある意味で真を射抜いているかもしれません。 しかし一歩間違えれば「どうせ死ぬんだし」です。 《人生なんて死ぬまでの暇つぶし》 それまで楽しければいいじゃない! 最後はみんな「わかってるでしょ」って 言われるかもしれませんが、 それこそは甘言じゃないのかな? なぜならわたしたちが本当にそれを知れるのは 《死ぬとき以外にはない》からです だったら、それは本物の最後にわかればいい もしかしたら… (そうじゃないものが見つかるかもしれない) 今はそう思っています その時がくる、それまでは…やってやる!! こうして2年前に読んだ本ですが、 2年前に救われたような本ですが、 今はここに挑んでいる自分がいます 全くもって不思議な気分です 立ち向かう準備があるのを感じるからです
「どうせ死んでしまう」
生きて死ぬのは確かに本当でも「どうせ」じゃない だったら《自分がある》って信じることは 信じられることは、しあわせかもしれない 幻想かもしれません 苦しいかもしれません でもこれこそが生きている本懐じゃないのか
わたしは幻想を追っていたいだけかもしれません
でもどうやらこっちの方が楽しい気がしています
生きていることは幻想じゃない
それに 自分自身が変われるのも本当です
努力できるのは生きているときだけ
これが本当なら やれるだけやってやる
初めて《自分なくし》から抜け出せました
いいのか悪いのかなんて誰にもわかりゃしません
死ぬのが本当ならそれまでは自分を生きてやるぞ
悩まない方法は《自分なくし》かもしれません 確かに決定的に楽になれました でも今は《自分がある》と思うことで はじめて立ち向かっていける気がします
今回は2年前じゃありません 2020年12月22日ですw 読破したのは2年前でした。 でもあの時とは違う自分がいます ヤバイなこれ… そんな中でもこのページを開いてしまいました
不安こそ生きてるあかし
思い返せば不安でなかった日など 一日たりともありませんでした。 何かしら不安の種は転がっているものであり、 どこかしら不安の風は吹いてくるものです。 もし、不安じゃなかった時があったりしても、 それは単に不安を忘れているだけのことで、 また気がつけば新しい不安はすぐそこに 待ち構えているのです。 不安の反意語が「安定」なんて嘘。 安定なんてそもそもこの世にはなく、 油断している期間のことを そう呼んでいるに過ぎないのです。 そんな言葉にだまされて、 さらにそれをキープしようと願う人がいます。 いつか痛い目に遭うことは確実です。 生き物の宿命は別離であり、死別であること。 この最大の不安から逃れることがない限り、 安定などあるはずがありません。 すなわち、不安をなくすということは 生きることを否定することと同じ意味なのです。 もう、あきらめるしかない が正しい しかし、人は不安と真っ向に対峙したとき、 必ず成長するものです。 ただ単に年をとれば大人になれるわけでは ありません。 目の前の不安から逃げないで、 どうにかうまく付き合っていこうとする気持ちが 人を大人にするのです。 それには出来る限り他人にやさしくするのが いいでしょう。 他人が喜ぶことだけを考えて、 それを趣味に生きていけばいいのです。 偽善だって言われてもかまいません。 とにかく少しでも自分に興味をなくし、 自分以外のものに興味を向けるべきなのです。
さあ出ました出ましたよ《人間の成長》!!! 後半の文章はなんとも陰鬱ですけどw 「目の前の不安に逃げないで」って、、 筆者本人が書いてるじゃあないか☆
わたしは今現在、不安に取り憑かれていました
どうにも膝の痛みが取れなくて どんなにやっても もうダメかも、なんて思って 抜け出せなくなって涙まで それが生きてる証だと言われて、、 すっと身体が軽くなりました 確かにその通りじゃないか 痛みは生きていることをめちゃくちゃ教えてくれる
何もかも投げ出せるのなら まったく立ち向かわなくても大丈夫 出来ることしか出来ないわたしたちにとって 出来ないことに挑むなんて挑もうとするなんて 立ち向かうことすらバカバカしくなるはずです 出来なくたっていいんです これは事実です 出来る人間が偉いわけじゃない だって「どうせ死ぬ」んだもんね☆ (投げ出すことと手放すことは違う) 死ぬのが同じでも、「どうせ」じゃないのなら 人間の成長に人生賭けてみたってわるくない 人を大人にするのは… 努力です!! 決して投げ出すことじゃあない!!
不安が生きてる証なら、、成長は努力の証
めんどうくさいのは全部ぜーんぶあたりまえです☆
◎だって、生きているんだから◎
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