(前日のつづきです) その後『ヤミツキ人生!』で紹介された人には こんな方もいらっしゃいました
全国の動物園ゴリラすべてを見分けられ すべてのゴリラを名前で呼べる人
記憶が曖昧で申し訳ないのですが この方は一般家庭のお母さんみたいな人でした ゴリラの絵をたくさん描いていた気がします
とにかくゴリラが好き
後ろ姿に独特の哀愁を感じる
ゴリラの体毛をこの上ない宝としていた
この人もイカ画家同様に異常なまでの根性です 各地の動物園に朝イチから赴いて 動物園の終業時間までずっとゴリラフロアにいる。 その人のことは動物園のゴリラ係の人なら 全員が見知っていた 場合によってはゴリラ係の人よりも ゴリラの体調がわかって伝えることもあるようです そんなとんでも人でした
完全に《好き》を超えている気がした
その絵もまた圧倒的描写力で、、 ゴリラがどの動物園のゴリラなのかわかるレベル。 それもそのはず
番組スタッフがゴリラの写真を見せると どこの動物園のゴリラなのか即答できました 写真も正面からというだけでなく 後ろ姿だけなものもあった
そして最後にはこう言ってました
《ゴリラの気持ちがわかる》
ゴリラが伝えようとしているかはわかりません この人の思い込みかもしれません ですが、それほどまでの、好きを超えた何かなら ほんとうに《わかる》気がします 伝えようとしなくてもわかる、というのは 感じる、というのならダンスじゃないか!!! しかしこれは、この場合は、、 《相手を見つめつづけることで体得した技術》 おそらくは(共感)を超えています ものすごいことではないでしょうか
これはダンスにも応用が利きます やはりダンスは見てもらうことが何よりも先 だとしたら見ずにはいられなくなる何か そうさせる何か、これが欠かせないのは明らかです そうじゃなきゃ《わかる》なんてたどり着けない 実のところ、この世界には《わかる》を飛び越えた 【究極の美】なる世界があります 見ただけで涙が出てしまうような。。 ここには意外にも《伝えたい何か》なんて 要らない気がします 個人的な想い、とやらが要らないのです なにしろ言葉では伝えられないほどの美だからです その世界は俗物には無理です 伝えたい何か、とは完全な別次元 目指すものがちがう したがって《その努力もちがう》 わたしたち全員がその領域に到達できない以上 見てもらうために 見てもらえるためには 技術とはちがう何かを体得しなくちゃなりません!
美とはちがう本懐がある
さて、『ヤミツキ人生!』は度肝を抜く人たちが 今もなお不定期で放送されています 度肝を抜いているのは 誰かに見てもらいたいためではなく あくまでも自身からの衝動でした これが行き過ぎて突き抜けているわけですが ここには誰にも媚びていない何かを感じずには いられなくなります 誰かの役に立たなくては人間社会では認められない そんな世ではありますが、 その人の《純粋さ》は、他の誰にも貫けません そして、特筆すべきは コレクター止まりではない、ということです 好きなものを集める、を超えて 《自分自身が何かをする》に至っていることです それが誰のためでもなかったとしても 自分だけのものだったとしても こうして誰かが触れる機会があるということ これこそが人間なんじゃないか これこそが可能性なんじゃないのか そう思うのです
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