つづきです。 やっぱりどうしてもその内容を避けられない!! どうやら2016年のXmasを突き抜けそうですッッ
『103歳になってわかったこと』 篠田桃紅
「誰もやらないときに、やったことが大事」
昔、私の展覧会でのことです。 ある人が私に、 「墨で線を引けばいいだけだろう。 こんなもの誰にだって描けるよ」と言うので、 「それならあなたもおやりになったら どうですか」と応じたことがありました。 のちに、「悪かった」と謝ってきましたが、 誰かがやったことを自分もすることは誰にでも できることです。 しかし、まだ、誰もやらないときに、それを やった、ということが大事です。 まだ誰もやらないうちにやった人は、それだけの 自信を蓄え、自分の責任でやっています。 その結果が、受け入れられるか、受け入れられな いかはわかりませんが、なかには、高く評価して くれる人がいるかもしれませんし、認めてくれる 人がいつか現れるかもしれません。 人の成功を見届けてから、私もできます、という のは、後出しジャンケンをしているようなもの。 誰もやらないときに、やった、ということで、 私が最初に思い出すのは、20世紀のアメリカの 画家、ジャクソン・ポロックです。 私が1956年に初めて渡米したとき、最も会いたか った人でした。 彼は、当時、まだ誰もやらなかった、絵の具を、 筆ではなく撒いて描きました。 彼の作品を見て 私は子どものときにさせられていた水撒きを思い 出しました。 家の玄関から門まで続く踏み石に 柄杓で水を撒いていたのですが、垂らしたり、 飛び散らせたり、自分の撒き方次第で、水のかた ちがさまざまに変わり、撒いた水に濡れて、踏み 石の景色が移り変わるのを、子ども心ながらに 美しいと感じて眺めていました。 ジャクソン・ポロックは、白いキャンバスを床に 広げて、キャンバスの上から、絵の具の入った バケツを手に、撒いていましたが、撒くという 新しい描き方を生み出し、絵というものは自由に 描いていいものだと、人々の心を解放しました。 そうした手法は、アクション・ペインティングと 呼ばれるようになり、のちに大きな芸術運動の 基礎にもなりました。 しかし、彼自身はひどい躁鬱病に苦しみ、自らが 運転する車を大木にぶつけて、44歳で亡くなりま した。 それは自殺としか思えない事故死で、 いまだ自殺なのか事故死なのかは謎です。 彼がニューヨークで事故死を遂げたとき、私は 自分の展覧会のためにボストンにいました。 ボストンに行く前に、ニューヨークに立ち寄って おけばよかったと、今でも時折、悔やみます。 若くして亡くなったジャクソン・ポロックは、 自分のやったことが、世界の美術界に多大な影響 を与えたこと、150ドルでしか売れなかった 自分の作品が、のちに史上最高額の 1億4千万ドルの値がついたことを知りません。 彼のように、誰もやらないときにやった人がいた から、新しい境地が拓け、後世の私たちもそれを 享受することができています。
「受け入れられるか、認められるかよりも 行動したことに意義がある」
行動というのはなかなかできないものです。 しかし《衝動》を具えてしまうと、、 突然できてしまいます! いわゆるアレです。 “何かに突き動かされている感じ” 「行動したことに意義がある」というのは 今年ついにblog化できた『ヨーガ・スートラ』に 書かれていた真理です。 わたしたちに大事なのは 《結果ではなく、行動すること》 到達点が同じなのにびっくりしたのと同時に、 やっぱりそうだよな、と腑に落ちるものでした― 行動できる、というのは人間がもつ得体の知れな いチカラだとおもうのです。 「評価」というのはわたしが大嫌いなことばの ひとつですが、誰がそんなものをつけているのか いつも疑問なのです。 たいていは影響力のある人のキャッチコピーとか 有名人が訪れたというものではないでしょうか。 人に来てもらうための宣伝です。 わたしが入院しているときお見舞いに来てくれた 友人がこんなメモをのこしてくれました。
「もうすぐ時代が追いつくよ!!」
そのメモはわたしのささえでした。 わたしのかんがえではありますが、篠田桃紅さんに しても、ジャクソン・ポロックにしても、 “誰もしていないことをしたかった” わけでは ないとおもいます。 単なる思いつきでは芸術の域に到達なんてできない そう思うからです。 自分自身に向き合って、その衝動と向き合ったら、 “しぜんとそうなった” とおもうのです。 これは、行動するにあたってたいへんな問題です。 わたし自身もそういった “誰もやってないこと” を したかったわけじゃありません。 自分がつたえたいとおもったことを、、 ふたを開けたら、、他の誰もやっていない!! ここ10年くらいいろんなダンスを見てきましたが、 一発芸の人は生き残っていません。 ひとつの作品を当てただけで、それ以降のものを、 その人自体を見たことがないのです。 わたしはやはり中身の問題だとおもいます。 その衝動がホンモノでなければ伝わったりしない。 インパクトだけでは景色が見えたりはしません。
見えないものにこそほんとうがあるとおもいます
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