| 2016年12月22日(木) |
おどる先になにがあるのか |
わたしはそのさきのこと かんがえたことがありませんでした 自分にできること。それをいっしょうけんめいに それが自分の精一杯だったのだとおもいます そのずっと先のことを示してくれたのは、 この本がはじめてです
『103歳になってわかったこと』 篠田桃紅 ずっと人はいきいきと生きていた
「平和な心を育てる」
ジョン・D・ロックフェラー三世は、 父の意志を継いだ、たいへんな慈善家でした。 慈善活動を行うために母体となる財団を 幾つも設立し、公共、私立の文化、教育、 医療機関などへの支援を熱心に行っていました。 その支援は、米国内にとどまらず、戦後のアジア ・ソサエティを設立し、財政破綻をしていた ジャパン・ソサエティも復興しました。 巨万の富を得た一族の長男自らが、生涯を慈善 活動に費やした、桁外れのスケールの一端を、 その時代、アメリカで作品を発表していた私は、 垣間見ることがありました。 三世のブランシェット夫人に、何回か食事に招 かれ、また、二世が寄贈したメトロポリタン美 術館の別館、ハドソン河沿いのクロイスターズ 美術館にも案内していただいたことがあります。 すばらしい庭園を抜けると、河岸には舟が係留 されており、ハドソン河の遊覧を楽しむことが できました。 マーク・ロスコ、ウィレム・デ ・クーニングなど、当代の抽象表現主義の旗手 といわれた画家たちの絵、そして私の絵もクロ イスターズ美術館に、当時保管されていました。 ブランシェット夫人もまた、慈善家として忙し く過ごすかたわら、アジアのアート、そして近代 アートの支援と収集を熱心に行っていました。 戦後間もない年から、積極的にニューヨークの 近代美術館の運営に関わり、理事も務めていま した。彼女には私設のキューレーターが数名おり 収集するアート作品の候補を選んでいました。 私の作品展のときもそうでしたが、最初は一人 が観に来て、その人がいいと思ったら二人目が 観に来ます。二人以上のキューレーターが推薦 すれば、収集の対象となりました。 そのことを私が知ったのは、二人目が観に来た とき、たまたま私もギャラリーに居合わせたか らでした。 ギャラリーのオーナーに、あの人 はロックフェラー夫人のキューレーターだから あなたはすぐに隠れて!と言われました。 美術評論家もそうでしたが、キューレーターも また、作家に会うことで作品への厳選な判断が 損なわれることを嫌ったのです。 身を隠した私に、オーナーが事情を説明してく れました。 美術家がゆえに、私は、世にも稀な人に会うこ とができたわけですが、ジョン・D・ロックフ ェラー三世のご実家は、世界の美しいアートや 工芸品に囲まれていたそうです。 それは、ご自分たちが好きだったということも ありますが、子どもたちが物心ついたときから 世界中の《美》に触れていれば、おのずと、 その《美》を生み出した文化とその人々に対し て、敬愛の念が培われるという、ご両親のジョ ン・D・ロックフェラー二世とアビー夫人の 教育信念によるものだったそうです。
美しいものは、多少の好みはありますが、どの 国の人も美しいと感じます。 そうした敬愛の念を抱けるものが地球上で増え れば増えるほど、共通の心を持つ人は多くなり、 価値観の違いや自己の利益を第一にした戦争は 少なくなっていく。 そう考えたのではないかと、私は思います。
わたしのダンスもそんなものになれるように、 そんな踊りをおどっていきたい そうおもいました。 ジャンルにとらわれないダンスをおどっているから こそきっとできることがあるとおもうのです。 それを信じています。 信じていなければ人前には出られません! そもそもダンスというもののはじまりには、 ジャンルなんてなかったはずです☆
「どの国の人にも美しい、と感じるものが 増えれば増えるほど 共通の心が広がる」
亡くなったマイヤ・プリセツカヤの言葉を、 これに足しておきたいとおもいます。
「 “ほんとうに” 美しいものをおどれば 100人いたら その100人が “美しい” と 感じるはずです」
わたしの “おどり” はまだまだで、否定的な感想も 少なからずいただいています。 そのときに上の言葉を思い出します。 やさしい友だちは言ってくれます。 「わからない人は放っておいていいのよ」 涙がでるほどありがたい言葉ですが、 マイヤ・プリセツカヤも篠田桃紅さんも、 きっと放ってはいない、そう思うのです。 どうしたら “ほんとう” をつたえられるのか 徹底的にやってこなければそんな言葉は出せない、 そう思うからです。 どの国のひとにも美しいと、感じるものは なみたいていのことでは現出できないはずです それを言えるのはやってきた人のみ そうおもうのです
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