| 2016年12月21日(水) |
自分の心が、自分の道をつくる |
この本には唸ることしか、、ない☆ 篠田桃紅さんはほんとうにすごい!
『103歳になってわかったこと』 篠田桃紅 人生を楽しむためには、人間的な力量が要る
「自分の心が、自分の道をつくる」
私は美術家ですが、美術家になりたいと思った ことは一度もありませんでした。 自らの人生を、自由に選択すること自体が困難 な時代に育ちましたので、自由に生きることを 希求していたら、美術家になっていた、という 感じです。 私の十代、二十代は、日中戦争そして第二次世 界大戦がありました。 戦時中は、誰もが生きることの制約を受けまし たが、なかでも、私の胸に刺さった女学校時代 の教師の言葉があります。 それは歴史の授業でしたが、「あなたがたはこ うして座って私の講義を受けていますが、今こ の瞬間にも、あなたがたと同じ年齢の貧しい農 家の娘たちは、凶作のために売られてお女郎に なっているんですよ」。 当時の若い女性にとって、女学校を卒業したら 学校の先生や親がすすめる相手に嫁ぐことが、 生きていくための最上の手段でした。 私の友人も次々とお見合い結婚していきました。 しかし、その時代は、家制度による古い慣習が 重んじられていましたので、なかには、夫を戦 地で亡くし、子どもがいないにもかかわらず、 嫁いだ夫の家を出ることができず、奉公を続け ていた友人もいました。 夫が戦死した友人は、幾人もいました。 結婚するなら、家制度に縛られず、自分の納得 できる相手としたい、と私は考えましたが、 戦時下に、男の人がそういるわけでもなく、 かといって、実家に居座っているわけにもいか なくなりました。 実家には、時間の問題で、一番上の兄のお嫁さ んが嫁いで来ることになっていたからです。 厄介者の私は家を出なくてはならず、私には、 自らが身を立てて生きていくよりほかはありま せんでした。 そこで、私は、書の先生から、あなたの実力な ら教えていいです。と言われていましたので、 お弟子さんをとって、教えることにしました。 そして、書に専念しているうちに、私はどんどん 深みにはまり、次第に文字は、こう書かなければ ならない、という決まりごとに窮屈さを覚えるよ うになりました。 たとえば川という字には、タテ三本の線を引くと いう決まりごとがあります。 しかし、私は、川を三本ではなく、無数の線で 表したくなったのです。 あるいは、長い一本の線で、川を表したい。 文字の決まりごとから離れて自由になりたい、 新しいかたちを生み出したい、と私は願うように なり、墨による抽象表現という、自分の心のまま を表現する新しい分野を拓きました。 幸いにも、私の作品は、ニューヨークで評価され て、世界にも少々広がりました。 ですから、私の場合は、こうなりたい、と目標を 掲げて、それに向かって精進する、という生き方 ではありませんでした。 自由を求める私の心が、私の道をつくりました。 すべては私の心が求めて、今の私がいます。
救われるような気持ちでした わたし自身。ものすごいちっぽけな存在です。 ただ自分にできることを、 いろいろできなくなったことがふえるなかで、 自分にできることを、そのぎりぎりを 無我夢中にやってきました そうしたらダンサーになっていました もちろんダンサーになりたかったのも事実です。 しかし《誰かに選ばれることでないダンサー》に なったのはそれほどむかしのことではありません。
それこそ いつのまにか なっていた
「川を三本の線ではなく、 無数の線で表したくなった」 ここに桃紅さんの《衝動》が見えます!! わたしにもそんな《衝動》があるんです!! それを自覚したのはこんなことを考えるように なってからです 「誰かがやってくれたら 自分が踊らなくてもいいのに」 この問いにはつづきがあります。
結局のところ、誰もわたしをおどれない
誰かがわたしを発揮してくれることはありません 自分がおどるしかないのです
わたしは “一般のひとのイメージ” の “ダンス” を おどっていません。 先人たちが築いてきたゆたかさにどうしようもなく 感動し、涙をながしました こんなダンスがあるのか、と。 こんなにもゆたかなものがおどれるのか、と。
そんなダンスをほとんどの人が知らないのです
わたしの先生のひとりである黒沢美香さんは、 こんなふうに言っていました。 「もしかしたら私がおどっているのは “ダンス” ではないのかもしれない。 いろんな言葉をさがしたけれど、いまのところ “ダンス” としか言いようがない。 そのとき “ダンス” ということばの奥深さを 意味の広さ、包容力を知った」 わたしのおどりは美香さんに遠くおよびません。 ですが自分自身のダンスをいつも信じる者です。 美香さんと同じダンスはおどれません。 だからこそダンスがおどれるのだとおもうのです
12月はじめ。 黒沢美香さんと懇意にされている方から、 黒沢美香さんが亡くなったことを聞きました 声にもならないくらいのショックで 数日間なにもできなかった ヒザがよくなったら、会いにいって、 クラスをうけて、そして叱ってもらおう そんなふうに簡単にかんがえていました “今” は永遠じゃありません 黒沢美香さんにおしえてもらった “ダンス” を おどりたい! 自分なりにつむいできた、いっしょうけんめいに 向きあったその時間をどうにかしてつたえたい
自分にできることはダンスをおどることだけです
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