断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2016年12月19日(月) どうしたら死は怖くなくなるのか

つづきです。

たまたま見た番組など、それを誰かに伝えたら
世界が瞬く間にひろがってしまう…
そんなことがわたしにはたくさんおとずれます!
とても不思議なことですが、
そんな人がまわりにたくさんいるらしいのだw
巡ってくると途端に密度が、知識が高まる。
そのことをもっと知っている人がいる。
考えてみると、、ものすごいことです☆


 『103歳になってわかったこと』 篠田桃紅
  人生は一人でも面白い


 「どうしたら死は怖くなくなるのか」

 百歳を過ぎると、人は次第に「無」に近づいて
 いると感じます。
 その一つに、私は作品を描き始めると、
 一切、なにも思わなくなりました。
 作品と私の間には筆があるだけで、
 ただ描いているだけです。
 それは、筆が勝手に描いているという感覚で、
 なにかを表現したい、想像したい、
 造形をつくりたい、といった私の意識は
 どこにもありません。
 描いているという意識すらありません。
 無意識のうちに、自然にできあがっていた。
 しかも、これまで見たことのない、
 まったく新しい境地の作品です。
 このことを無理矢理、意味づけるとしたら、
 今まで何十年来と一生懸命に生きてきたから、
 あらゆる角度からさまざまな表現の試みをして
 きたから、過去の集積からこぼれ出た、とも
 言えるでしょう。
 あるいはまったくのただの偶然にすぎない、
 とも言えるでしょう。
 先日、「どうしたら死は怖くなくなるのか」と
 若い友人に尋ねられました。
 私は「考えることをやめれば、怖くない」と
 助言しました。
 どうせ、死はいつか訪れると決まっています。
 そう遠からず、私も死ぬだろうと、
 漠然とですが、思っています。
 人は老いて、日常が「無」の境地にも至り、
 やがて、ほんとうの「無」を迎える。
 それが死である。
 そう感じるようになりました。


百歳を超えた超人が言うことです。
そのうえ、、現役の芸術家ッッ
計り知れない何かを感じないわけにいきません!
「無」ってなんなのでしょうねw
わたしたちも百歳を超えないと、、
そんな境地には至れない気がいたします☆
ただ、ひとつ気付いたことがあります。
《芸術》に関して。
それは「自分をわすれる」というものです!
わたし自身も踊り続けているうちに、いつの間にか
自分をわすれています。
目指すところは、もしかするとここかもしれません

 お客さんと私の間にはダンスがあるだけで、
 ただ踊っているだけ。
 それは、ダンスが勝手にやってくるという感覚で
 なにかを表現したい、想像したい、
 共有したい、といった私の意識はどこにもない。

これまでいろいろな本を読んで、課されて? 笑笑
研究をかさねて、現時点の成果はこれです―

 【ホンモノの自分は観察できない】

“わたしらしさ” というものは
自分をわすれるくらいに没入した先に
あるのではないか、ということです

つまり「自分 “が” 」の部分がないのです!

わたしたちは “つたえたい” とか、
“想像したい” とか、頭で考えられているうちは
もしかしたら《芸術》ではないのかもしれません
すくなくとも “わかってもらいたい” とか
そんな卑屈なものではない気がします
芸術とはそんな「わたし “が” 」の部分を超えて、
“わかってしまう” “感じずにはいられない”
そんなものだと、わたしはおもうのです
芸術は主張ではない
芸術は自己顕示欲ではない

ホンモノの自分というのは
わすれるくらいの自分
おぼえていられないくらいの自分
そんな気がするのです


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Taisuke [HOMEPAGE]