断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2016年11月24日(木) 「ホンのひととき」

たしか某Art番組をたまたま見たときです。
ゲスト出演していた人をみてギョッとした

 この人…《作家》だったの!?

テレビ画面に出現した文字テロップ肩書き!!
そのときまでその人のこと作家だなんて、、
考えたこと一度だってなかったよ―

 偏読、雑読、併読、積ん読―
 楽しみ方いろいろあります。
 年間300冊の本を読み、
 読書家で知られる女優の初エッセイ。

 ああ、もっと読みたい。

 『ホンのひととき』
  終わらない読書   中江有里

 不安な時ほど、その存在がしみる。
 大阪から上京して初のひとり暮らし。
 休日は、朝起きてから夜寝るまで一人きりで
 「あれ、今日一言もしゃべらなかったな」
 という日もありました。
 ある日、さみしさにたえかねて、
 すがる思いでホンや兵器、、、
 本屋へ行き、貪るように本を読みました。
 パリパリに乾いたふきんのような心が、
 文字の泉に浸り、
 徐々に柔らかくなっていくのを感じました。
 その時「本はわたしの心の友達」と確信しました

相変わらずの予測変換能力!!
すいません。。ド派手にまちがっています(爆)
なんだよ「ホンや兵器」って…
この変換、、おかしいよッッ!!
しっかし おそるべきmy予測変換。。
ぜんぜん「本屋へ行けない」感じだもんね…
育ててきた怪がある気がします☆
さて、このエッセイは2014年のもの。
某ネットで検索してみたら★5評価でした!
意外と大書店に置いてなくてちょっぴり探したw
こんな機会でもないと手に取ることもなかった。
◎出会ったときが吉日◎


【書くということ】
  読むことと同じく、書くことが好きなわたし
 ですが、何か書こうとする時、いつも悩みます。
 書くということは、たった一人での行為。
 暗闇の中、道なき道をひとりきりで歩くのと
 似ているかもしれません。
 どんな道を行き、どこへたどり着くのか、
 進んでみなければ何もわからない。
 そうした書く道筋を記してみようと思います。
  まず書き始める前、自分の書きたいことを
 しっかりつかむ必要があります。
 これを怠ると、
 書き始めても確実に筆が止まります。
  書きたいことが決まったら「書き出し」を
 考えます。 小学生の頃、授業で作文を書いて
 いた時から「書き出し」にはずいぶん時間を
 割きました。「書き出し」は、その後の文章に
 リズムを与えます。
 音楽で言うところの出だしの音ですね。
  文章は「起承転結」が大事と言いますが、
 わたしは「起承転結」を半分くらい意識して、
 あとは気にしない。
 それより大事なのは、文章を工夫する事。
 ここに書き手の人となりや、伝えたい気持ちが
 表れるのではないでしょうか。
 相手に自分の思いを伝える工夫は、
 文章の温度を上げてくれ、
 読み手の胸を温めてくれる温泉のよう。
  元来、自分の気持ちやイメージを伝えるのは、
 とても難しいことです。
 たとえば一枚の絵画。
 画家が描きたい色や線を表現できたとしても、
 絵画は環境や年月によって変化していきます。
 明るさや空間でも絵の見え方は変わるでしょう。
  文章は、絵画のようにその形が変わることは
 なくとも変化します。
 文章も絵画と同じく、見たり読んだりする受け手
 がいて、初めて作品として完成するからです。
 つまり作者自身(わたし)も自分の手から離れる
 まで、それがどんなふうに受け止められ、
 理解されるか、実のところはわからない。
 無責任なようですが、どうにもできない事実です
  人間は多様な生き物で、同じ文面でも読んだ人
 すべてに同じように理解されるとは限りません。
 時に誤解されて伝わる恐れもあります。
 それでも人間は書くことを続けてきました。
 先人たちが後の時代に生きる人々に、
 どうしても伝えたい事柄があったからでは
 ないでしょうか。
  冒頭に書きましたが、わたしが書くことを好き
 になったのは、読むのが好きだったからです。
 書くことは、多様な人間の中に在る、小さな声を
 発信できる手段です。
 自分の思いや孤独を、文章にして伝えられます。
 また、文章を読むと、書き手を直接は知らなくて
 も、自分と心を共にする存在がいると知ることも
 できます。
  新聞には全国から多くの人々の声が寄せられて
 います。 そこには自分と同じ思いもあれば、
 まったく逆の意見もあります。
 誰かが書いた文章を読むのは、
 とても刺激的で楽しいもの。
 凝り固まりそうな自分の内面を、心地よく
 ほぐしてくれ、新たな発見を促してくれます。
  読んだものから得たパワーは、
 書く気持ちを奮い立たせてくれるのです。



おどるということ
実は書くということと変換できてしまいます!
不思議な感覚ですが、わたしたちがしていることは
《相手があること》だからでしょう。
ダンスでも「ああ、もっとこの人の踊りが見たい」
そう思ってしまうのです!!
おどりをおどるのも
暗闇をひとりきりで歩くのに似ています。
道なき道を行き、どこへたどり着くのか、
進んでみなければ、、何もわからない。
わたしにとってダンスは、
《わからない》に挑みつづけることです
興味深いのは踊りつづけることで見えてくること
挑みつづけるから見えるのかもしれません
◎実は文章でも同じ◎
書いていると知らなかった自分に気づくのです
自分がかんがえていることが文章になって、
はじめてわかるのです
自分に出会えるというのはすごいことです
そういえばバガヴァッドギーターに記してあるのは
《結果を求めるな、行動をせよ》でしたッッ
もしかしたら。もしかしたらこういうことかもw
k野さんあざす 笑笑
相手に自分の思いを伝える工夫。
それが “ダンス” となる、そんな気がするのです

誰かに対するということは
決して自己中心ではいられません。
どんなこともやっていいことにはならないのです。
相手との距離感がとても大事。
だからといって自分のスタンスは変えられません。
自分というものをしっかりもっていないと
相手に正対することができないからです。
自分をひょいひょい変えていては何をかんがえてる
のかまったく疑われてしまいます!

最近、とつぜん距離感がわからなくなった人が
います。
表面上は普段とぜんぜん変わらないのですが、
話してみると明らかに壁が出現していました。
“どう言っても響かない感じ”
どうしてそうなったのかわかりません。
わからないからとてもさみしかった

思いを伝えるのはとてもすばらしいことです

だからこそ
受けとってもらえないというのが苦しい

その人に何があったかはわかりませんが、
わたしのスタンスは変えられません。
人に何かを投げかける仕事をしている者は
けっして臆病者にはなれないのです。
もちろん距離感はその空間とともに計りますが、
それでも通すところは押し通すくらいの覚悟が
なければとても人前ではおどれません

 相手がいなければ完結できない

こたえは相手がおしえてくれるのだとおもいます


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Taisuke [HOMEPAGE]