断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2016年09月16日(金) 人間ダンス論

つづきますw

 『人生ノート』  美輪明宏

今日は著しく引用長いです(爆)
いろいろ考えましたが、避けられませんでした!
なぜなら、、、わたしが常日頃 見ている、、
見つけてしまうオーラ的なあれだからです―

 《人間保護色論》

 これはいちばん言いたいことの1つですけれども
 トカゲやヒラメとか、そういうものだけが保護色
 の動物だと思われてるでしょう?
 それはまちがいです。
 なぜなら、人間もまた保護色の動物なんです。
 それにはみんな気がついてないみたいですね。
 でも、なんとなくそんな感じの人っているじゃ
 ありませんか。
 カメレオンやヒラメは住んでる場所によって
 色を変えるでしょう?
 そういう保護色の動物ってたくさんいますよ。
 昆虫や海の中の動物にいっぱいいます。
  人間もそうなんです
 たとえばお屋敷町に住んでる親子が買物に来てる
 とするでしょう?
 なんとなく品がいいなあという感じがするじゃ
 ないですか。
 それはその人の住んでる家のインテリアとか、
 身のまわりに置いて、しょっちゅう使っている
 小物とか読んでる本とか、しゃべってる話の内容
 とか聴いてる音楽、それが全部そのまま出ている
 んです。
 それがそのまま見えない膜になって、その人を
 包んでいる。
 見えない十二単(ひとえ)のように包んで、
 その人を囲んでいるんです。
 わかりやすくいうと、最近はボーダーレスの時代
 で、水商売も素人も区別がつかなくなってるけれ
 ども、でも水商売の女の人がノーメイクで、セー
 ターでサンダルばきでスーパーに買物に来てても
 なんとなく「あの人、水っぽいな」となるでしょ
 う。 それはなぜかというと、その人がそういう
 場所にずーっといるから。 後ろにボトルが並ん
 でいて、「いらっしゃいませ」といって、演歌が
 かかっていて、いろんなウソをついたりつかれた
 りする。 そういうところにいて、毎日色恋の話
 をしたりお世辞を言ったり、酒を飲んだり飲ませ
 たりしているわけです。
 それが全部その人を包んでいるわけ。
 ヤクザ屋さんがパンチパーマじゃなくて、背広に
 ネクタイで普通の格好をしてい歩いてても、なん
 となく「この人、そのスジの人じゃないかな」と
 いう感じがするのはそういうことなのです。
 歌い手でも、オペラ歌手と演歌歌手とシャンソン
 歌手、ジャズ歌手、ロック歌手とか、歌手はたく
 さんいます。
 歌い手だから変わらないと思うでしょう?
 でも、みんなに同じ背広を着せて、ずらっと
 並ばせてごらんなさい?
 まったく違いますから。
 たとえば演歌歌手が、アルマーニやヴァレンチノ
 を着て舞台に出てきても、その人をとり巻く5m
 四方がド演歌という雰囲気ですよ。
 それは歌っている歌とか、日常の会話とか発想
 とか、読んでる本とか住んでる場所とか、
 そういうものが全部ひとくくりになって出てくる
 わけなのです。
 だから、値段の安い高いじゃなくて、品のいい
 きれいなものをまわりに置いて、いい本を読んで
 質のいい音楽を聴く。 そして美術館に行ったり
 博物館に行って、いい文化を普段から仕入れてい
 ると、その人となりがそのまま出てくるんです。

 《その人となり》ということ

 きたないオバさんでも、俳句を詠んだり書道をや
 ったりする人は、どこか居ずまいがきちっとして
 いて、何か違うんですよ。
 話をしてみると、だいたいそういう芸術的なこと
 をやってる人なんです。
 同じきたないオバさんでも、そういうことと一切
 無縁でただ人糞製造機で、ぼうっと無知性無教養
 で生きてるだけで、近所で井戸端会議でもして、
 テレビを見ながらせんべいでもかじって、それで
 一生を終わる人もいる。
 それはそれでいいんだろうけど、そういう人は
 やっぱりそのまんまですよ。
 何かあの人は雰囲気に気品があるとか、品がない
 感じね、というのは原因はそういうところから
 来ているのです。
 学校の先生が背広にネクタイで、サラリーマンも
 背広にネクタイですけど、一緒に並ぶと違います
 よ。 先生の場合には、後ろに黒板があって教員
 室があるわけだから、やっぱりそういう雰囲気が
 出てくるわけです。
 同じ銀行員でも、マホガニーの机で下が大理石で
 という本店にずーっといるのと、プレハブの支店
 にずっといるのとでは二、三年も経つと同じ新入
 社員でも風格が、人品骨柄が違ってくるんです。
 ですから、人間は保護色の動物なのです。
 それは、私がはっきり説明しないとみんなわから
 ないのです。
 「えーっ、人間がどうして保護色ですか?」と。
 「美輪さんは何かほかの人と違いますね。向こう
  から歩いてきても違うんですよね。ふわあっと
  何かドラマチックな感じがするのはなぜでしょ
  うか」と言われますけど、私はそういう本を読
 んでいるし、モーツァルトとかショパンの音楽と
 かオペラとか、そういうものでしょっちゅう身の
 回りを包んで聞いてるわけです。
 それが細胞の中にしみこんでいるわけです。
 「美輪さんと話していると、外国のオペラ歌手と
  しゃべっているような雰囲気がするんです」
 その答えは私の日常生活の方法にあるわけです。
 まわりのお友達もそういう人ばかりだったのです
 ほとんどが天才だった。
 だから、そういう話題が多い。
 そういうものがひとまとめになって、
 「その人となり」になるわけです。
 「人間保護色論」というのは、そういう結果です

これは 自分が観客としてダンスを見ているとき、
何をダンスとおもっているか、そのすべてです
その人が何を感じておどっているのか
その人のことがわかってくる何か
洋舞についてはなかなかそういったものが
ありませんが、わたしがおどっているものに
関しては 最初はここからです。
その人となり、が見えてこないものには
違和感が生じます。
やらされていたり、すること。
下手を打つとやらされてるのが丸見えです。
きちんと《ダンス》にするというのは、
いつも《最高の自分でいること》です。
したがってこれは練習しなきゃいけません。
何事もオートマティックにするまでが、
吐きそうになるくらいに、、キツイ。

なりたい自分になる

なりたい自分には簡単にはなれません
掘りたてのイモじゃないからです☆
その人の得体のしれないオーラはきっと、、

“なりたい自分” から生まれるのだとおもいます


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Taisuke [HOMEPAGE]