| 2016年07月30日(土) |
心と外を同時に確かめることはできない |
【断罪の時間 〜スートラ最終章〜】 7月中(※blog時間です)、 ずーっと終わりの見えない日々でした― さすがは聖典ですw なにしろ覚え書きと差し込み数が、、 尋常じゃあなかった!!!(遠い目 実のところblog化できたものの3倍ありました。 書籍系では最も頭つかった気がしています 笑笑 本件に入る前にもう一度つたえたいのですが、 この『ヨーガ・スートラ』を課されたのは 前十字靭帯再建手術前日です☆ そして、、術後は少し開いただけで閉じましたw こんな真理に次ぐ真理… 自分のことだけでたいへんな時期に、 真理の探求とか― できんよッッ 無理ッッッ(爆) そう。当時はイジメかと思いましたw いや、マジで☆ 退院後、2年もの月日をまたいでの読破。 長く苦しいたたかいでありました。 ある意味でリハビリよりもキツイ時間ありました。 なにしろまったくわかりもしないのが満載ですw さぁいきましょう! 最後はサクッといきますよ☆
「そして、心と外にある対象の両方を 同時に確かめることはできないのである」
このblogは今から1年前にあたるものですが、 今回だけは飛び越えて、 現在(2017年8月)の視点で書きます。 いろいろ悩みましたが、今にこそ 当てはまる内容だったので初の禁じ手ですw 2017年1月28・29日におこなった、自身の 再復帰公演【The 3rd BIRTHDAY】を終えて。 リハビリに費やした時間があまりにも長すぎて そのぶんの苦しみやその痛み、乗り越えようとした 時間がキツすぎて、踊れるという今がどれだけの ことなのか、そんなものの混沌だったと思います。 公演を終えた数日後。 とつぜんわかったことがあります。
“その一切がまったくおもいだせない”
自分でもここまで何ものこっていないというのは 初めてのことです 自分が踊ったのか、、 あの日、公演があったのか、、 ほんとうにうたがいました それくらいなんにものこっていません 本番後ゾンビのように日々をおくってしまい、 今でさえみなさまへの感謝が遅れている次第。。 解き放ちすぎる、というのも甚だ問題です。 自分に何ものこっていなくて いなさすぎて いったい何をどうすればいいのかさっぱり わからなくなっていました このあたりはあらためてそのときにして(涙 自分の望み。 自分の望みってなんだろう― おそらく、“自分自身をたしかめたい” そのとき、踊っているときの自分が、 《ほんとうに自分だったのか》 イキイキとしていたか。 最高の自分でいられたか。 それを自分自身でたしかめたい。 《生きていることを実感したい》 ですが、これは最初から困難な話です― たしかめたいのはほんとうですが、 優先順位が圧倒的に低い。 優先順位というよりもそのまえに為さなくては ならないことが多すぎるからです。 なによりも相手のある職業です。 つたえたいことは何なのか 今の自分を、最高の自分にすること 特に。即興を踊るにはここに最大限の集中を 払わないとダンスになりません。
自分をたしかめるなんてそんな余裕は、、ない☆
このときの《最大限の集中》はヨガでいうところの 《瞑想》にかなりちかい気がしています。 なにしろ《自分自身でありつづける》ことに 全力を尽くしています。 おもしろいことに自分自身であろうとすると、 《我》がなくなっていきます。 このあたりは黒沢美香さんがいっていたものに ちかい気がしています。 「 “自分” よりも “カラダ” になる」 ここから先は “得体の知れない” ものなので つたわるかわかりませんが、 心は消えていって自分自身が《ダンスになる》 ここで初めてダンスになれる。 あとは “気づき” の連続です
自分に《気づいている》というのは、 もしかしたらおぼえられないものかもしれません
スートラ解説にはこう記述されていました
心を直接観察している意識と、 心を通して世界を観察することには 重要な違いがあるということである。 この違いは激しく劇的なものである。 極端な状況で、心による時間のシミュレーション が絶たれれば、この2つの違いを認識することが できるのである。 多くの人がこれに似た瀕死の経験を語っており、 その話から、心と世界を同時に確認することは できず、気づきは心に位置しているものではない ことが推測できる。
自分自身を納得させたいという気持ちはとても 難しいですよね。 言い換えれば《自己満足》ともなってしまう。 決してそう思っていなくても、 どこかにかすっている事態。 自分自身をたしかめたい気持ちは ここにつながっているのかもしれません。 スートラを読んでおもいました。
自分自身を発揮しつづけているというのは 自分自身を確認できない状態のことじゃないか
“自分自身である” というのはそんなものなんじゃ ないか、そうおもったのです “自分” というものは永久に 自分では確認できないものなのかもしれません 自分ではなく、相手 他者が認識するものなのでしょう 公演後、実感がまるでないことに ものすごい不安を感じていました。 しかし、あらためてこの章を読み返して。 今のところ これが今の自分のこたえです。 こたえはまた移り変わっていくとおもいますが 今の自分を精一杯 踊っていくには とても地に足のついたこたえだとおもっています
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