| 2016年07月26日(火) |
“時間” は人間の “技術” |
スートラはおどろきの連続でした… 読めば読むほどに《探求》です。 おおよそ宗教とかじゃないよw 【自己の正体を見つめつづけた集大成】 毎章こんなところまで掘り下げたのか、と 考えれば考えるほど唸りを上げましたww 「バカじゃないの!?」って叫んだほどです。 ええ、ええ、もう全然バカじゃありませんよ!! その裏返しです 裏返しッッ(爆)
「瞬間とその連続に対してサンヤマを行うことで、 識別から生まれる知識が生じる」
サンヤマとは(※注1) ダーラナー:心は1つの対象について考え、 他の思考を避ける。 対象への気づきは妨げられている。 ディヤーナ:同一の対象について、 絶え間なく気づきが流れる。 サマーディ:心の中は完全なる静寂であり、 もはや動きはない(心の止滅) まるで心は存在しなくなったかのようである。 対象についての完全な知識を得ることが可能。 対象のみが光り輝く。 ※これら3つを同時に行う、それがサンヤマだ!
何、この定義?! これがスートラの正体だ! ヨガをつづけていけば たぶん実感できる☆ と、、おもわれます \(^o^)/ なにしろ自分自身を見つめないわけには いかないのだw 《あとたったの3呼吸》でわかる真実ッッ 笑笑
原子が物質の究極の微粒子であるように、 瞬間は時間の究極の微粒子であると ヴィヤーサは説明している。 彼はまた、瞬間とは空間の ある1点から 隣接した点まで原子が移動するのに要した 時間であるという、第2の定義もしている。 このような瞬間の連続的な流れ、 “今” はつまり瞬間の連続である。 しかし、こういう連続は瞬間の蓄積ではない。 実際、ある瞬間が次の瞬間に変わり、 また次の瞬間へと変わるのである。 私たちはいつまでもただ1つの瞬間を 観察しているのである。 1時間であるとか1日であるとかの概念は 時間の観念を与えてくれるが、 実際には《時間などない》。 時間とは、時々刻々というものを 理解できない心が構成した概念にすぎないのだ。 誰も未来や過去を見たことはなく、 ただそこには現在がずっとあるだけである。 心は、“なぜ ある対象については 認識できないのか” を理解しようとするため、 未来や過去という概念を発展させているのだ。 何事も過去や未来に起こったことはない。 私たちの精神的活動では、すべてが現在に 起こっていることなのだと理解することが できないため、時間という概念を持ち始める のである。 しかし、時間とは心の中だけで存在するもの。 世界を理解することができないため、 次々と起こる現象を整理するために使う 技術なのである―
技術、、技術かーーーーーッッ(爆) あらためて《時間》を学んだ気がしました。 “時間は蓄積しない” “そもそも時間なんてものはない” そう思ったら突然世界がぐんとひろがりました。 解き放てることが ひどくあったんですw 意外なところで《時間に囚われて》いた―
臨死体験をしたことがある人は、 一瞬にして自分の人生が過去を映し出すのを 見たと報告している。 死にあたって心が静止するため、 こういうことが起こるのだ。 そして再び転変するまで 意識の中に休まるのである。 意識という点から考えると、 人生はそのまま全部 一瞬の中で同時に起こっていると言える。 瞬間を切り取り、後ろを振り返れば、 いつもそこにあって決して変わることの なかったものが自分の中にあることに気づく。 私たちの本来の姿、意識である。 意識には過去も未来もなく、 誕生と同時にあり、死に至るまで 意識は時間を費やしているのではない。 すべては一瞬に起こるのである。
スートラについてここまで小出しに更新してきまし たが、ヨガにおいてまず押さえておくことは、 《心の止滅》です。 最初に度肝を抜かれた “止滅” という響きw 止滅とは ころすことじゃありません! これは心のざわつきのことです。 ざわつきをなくし集中することで、 はじめてすべてのことに対して準備ができます。 スートラは聖典と呼ばれているだけに、 最初から真理しか登場しませんw しかしこれに面食らったままというのは 甚だもったないと存じます。 自分をつくっていくのは不断の意識です。 知識はいくらあっても困ることはないのです☆
つづく(爆)
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