昨日のつづき。
これまでのスートラを通じて、 自分にとっての《ダンスの表層って何?》まとめ。 やはり自分にともなっていないダンスでしょうか。 やりたくもないものを踊れば、 見ている人には確実に違和感が生じるはずです! その違和感を見せないのもプロの技ですが、 自分自身の内に “これだ” という信念がなければ まるで伝わらないのではないでしょうか? やらなければならない、そんなものが大抵の 《仕事》ですので、こんな考えにもなりますが、 見方を変えて好きなものに置き換えると すっきりします。 その人が何かに対して《好きだ》という気持ちが あれば、自然とそういったカラダになっています。 前向きであったり、心地良いなにかが通っていたり それがすっと伝わってくるのです。 《好きなもの》にはすべからくそんな力があるよう です。 だから、好きなものをもっている人は あまり疑う余地がありません。 その好きなものに対する情熱がその人のことを 間違えなくするのだとおもうのです。 好きなものがない人は総じて捉えどころがないため “わからない” 気がしてしまいます。 何を考えているかわからない、って結構恐怖ですw その人のことが “わかる” ってそういうものじゃ ないでしょうか―
それを踏まえたら、、毎度の公演で こっぱずかしい告白を毎回やってるわけです それも全力で(爆)
あとで思い返していつも感じるのは― 「あんな恥ずかしいこと、、よくやれたよね」 いつもそのときの最大ってそういうもののようです そのときにはそれしかないからです
毎回一度も話したこともない人に「好きだ!」って 言ってるようなものかもしれませんw でも、どうやら自分にこれ以外はないようです。 そのために踊っているのでしょう。 したがって、踊りがフツーのダンスじゃないです。 見映えとかそんなのを踊りたいんじゃないからです カラダが動くことではないことはどうやったら つたわるんでしょうか 考えれば考えるほどダンスにならないようなダンス です。 人によってはダンスと思えないもの。 もしかしたらダンスじゃないのかもしれません。 ですが、わたしはここに身を置いていたいのです。 どんなに見苦しくともここにこそダンスの可能性、 その本質があるとしんじています
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