| 2016年07月19日(火) |
識別知からの究極の洞察力 |
わたしは決して宗教を学んでいるわけじゃ ないのですがw ◎ヨーガスートラ。聖典です◎ そもそもヨガ発端は、、 単にリハビリではじめたことでしたw ドクターにすすめられただけなんですね(超実話 座学とか全然。どうでもよかったんです。 踊れるようになりさえすればッッ しかし、クラスを受けつづけることで ヨガが単なる運動でないことをそのうち知って しまいます(爆) なにしろたいてい訓話から始まりますからねw 結局、心とか生き方とかそんなこと☆ これが!おおよそダンスに通じてた― なにしろ《心》とか《生き方》とかですよ?? ダンスと同じやんかッッ 笑笑 そして心とか生き方とかって、 そのままある種の宗教的要素ッッ 捉え方によってはいかがわしさ感じるよッッ 結果。こころを学んでます 自身のうちでそれを区別するんです☆ これさえできればなにもおそれるものはないw さあ昨日の続きいきますよーーー(爆) よーく読み返したら、、昨日のblogで、 スートラのこと書いてなかったんですよ!! 笑笑 そういうわけで《識別知》ですw
「解脱のための手段は永続的な識別知である」
このスートラの解説では― 本物と本物でないもの、 本質的なものと本質的でないものを 区別する能力を《識別知》と呼び、 その識別知を永続的フツーにしよう! っていうことでした☆ 考えれば考えるほど、心はスクリーンに投影されて いるもので心の奥にはスクリーンがあるんです! 最大の気づきはこれでした。
心よりも奥があった
これまで踊ってきて心はいつも騒がしかったように おもいます。 感じていたのはこういうことだったかもしれません 心は、いつだって変容していってしまうため それに振付をつけようとしても振付自体も変容しつ づけてしまうのです わたしは特に固定させていくことに拒否反応が出ま す。。 もちろん振付の場合は決めてからの勝負に なるのですが、それまでに膨大な時間を費やして しまっていました… なにしろ心が変容しつづけるからです(爆) たぶんね、考えちゃダメな部分があるとよね! でもそれわかってても自分では困難なんですよね☆ そういうところに昨日からのスートラが 突き刺さったわけですッッ
「心とか “表層” だからね」
心が、心が表層だったとか知らんかったとです― 自己とか意識をたどっていくと《気づき》しか なかったとです!!
《自分》って《気づく》ことだけだった―
スートラにはそう書いてありました。 自分=意識 心は意識の上にのってくるものらしい。 甚だとんでもない書物です。 正直、自分自身の雑念がどこから出てくるのか ダンスを通して疑惑をもっていました。 その犯人は、、 “心” だったんです(爆) 心1stで踊ってきたのにね。。 なんてこった。。
犯人に踊らされてきた部分が否めない
そして気づきました。 《気づき》をもっと深く見つめてみよう それをカラダに伝えればすなわちダンスじゃ ないか。 おもむろに心に集中することで本質的なもの が抜け落ちていたかもしれません 心こそが伝えたいものをさまたげていた そしてとどめの一言。
「心からの自由」
わたしたちは自分の心に苦しめられています。 意外にも心は自身の思い通りにはなりません。 しかし、面白いことに この解説では、 《心は表層である》って書いてあったんですね。 だったらそれは自分で解決できる! 心はこれまでの経験によって色づけされてきます。 したがって、それに気づいてしまえば、 いつだってあたらしいんです!! そうやすやすと色づけさせないぜ!! たぶん、そんなことだと、、おもいました☆
《識別知》ッッ
あたりまえのことですが、時間は戻ってきません それに、時間は常にあたらしいものです これまでの経験がそのあたらしさを阻害している可 能性があるということでしょう
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