断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2016年07月16日(土) 解脱しようがしまいが人間死にます

「見られるものは、まさしくその本質からして
 見る者の目的のためだけに存在する」

 世界は、やがて解脱へとつながることになる意識
 に経験を与える以外、目的を持たないのである。
 意識は、永遠に活動をしないものである。
 ただ、観照するだけなのだ。
 意識を描写できる数少ない言葉に《気づき》が
 ある。 しかしシャンカラは復注書で、対象が
 差し出されている間に限り気づくことができる、
 と正しく指摘している。
 つまり気づきの質は、主体となる意識と気づく
 ために出された対象との関係に《関連》するもの
 なのである。
 これは私たちの理解のために欠くことのできない
 ものだ。

まあ、、むずかしいよね☆ 笑笑
意識は永遠に活動しない、とかw
すこし立ち止まらないとなんとなく拒否しそうなw
でもね。これがね。
◎立ち止まると見えてくるわけです◎
さて、このところは放っておいてw
ヨガのたいへんわかりやすい記述がありましたッッ

 身体的なヨーガ実践者にとっては、
 人間の体はそれ自体が目的ではないことを
 理解しておくことが大切だ。
 体の存在意義はただ、意識に対する行為の
 乗り物となることだけなのである。
 つまり、ポーズはそれだけではさして有益な
 ものではないので、何百もの素晴らしいポーズを
 取ることにそれほど執着する必要はないのだ。
 解脱に向かっていて初めて目的を成し遂げるので
 あり、正しい方法で行われなくてはならない。
 自我を強め、自己満足のためにポーズの実践を
 行うのでは、真のヨーガにとって障害となる。
 本質的に、見られるものとは意識のためだけに
 存在するのであり、この目的が達成されるならば
 見られるものは当然表に現れなくなる。
 世界の目的は、経験と解脱を与えることにある。
 これが達成されたならば、世界と体が表に現れる
 こともなくなるのである。

まあ、、断定してる文章は、ひくよね☆ 笑笑
ドン引きしておかしくないですw
だからこそ、解説よりもスートラだけのほうが
なんだか真理的です!

「見られるものは、まさしくその本質からして
 見る者の目的のためだけに存在する」

わからんもんね(爆)

ただ、ヨガをしているときには自分で出来てると
思っていることに関しては自信があります。
そして出来ないと思うことに関しては自信はないも
のですw
そして著しくポーズが美に近づいてると感じたら、
ほどなく自己満足の気持ちが差します。
なにしろ《出来る》んです☆
しかしそこに なぜだか慢心が忍び寄るッッ!!
自信とは違うヤツっっ!!
これが人間の正体です。
よって、この慢心とやらの撲滅運動をします。
この撲滅運動がヨガです(爆)
どっちにしたってポーズができても、
えらいわけでもなんでもないんですねw
これはほんと最初におさえておくべきです。

できなくたっていいんです

やってればそのうちできるようになりますw
そんなことよりもむしろ呼吸です。
呼吸が深くできるところでポーズをとる。
呼吸を意識できるようになると日常にも応用が
きいてバランスがとれるようになります!
真理とか解脱とか、考えても考えなくても
わたしたちは死にますからね☆
◎解脱できなくても経験はしておこう◎
もったいないです。たぶんw

生きてるうちは死なないように生きましょう!


つづく。


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Taisuke [HOMEPAGE]