「記憶が浄化されれば、 心の本来の状態がなくなってしまったかのように 対象だけが光り輝いて現れる」
ヨーガスートラです。 もうすこし続けさせてください。 自分にとってもかなり困難なところではありますが なんとか頑張って伝えてみたい。 正直言って自分でもここまで言語化されているもの には一種のいかがわしさを感じてしまうところも あります。 ですが、やはり言語化されているというのは物凄い ことです。 考え方のひとつとしてそれを知っているだけでも 現実世界で自分自身を見つける手助けになる。
それを実感しているからこそ頑張りたいのです
私たちの記憶には、過去の出来事、読んだもの、 人から聞いたこと、推論から達した結論などから 得た見解が詰め込まれている。 記憶の浄化とは、瞑想対象に関してこれまで 私たちが蓄積してきた状況や見解、データを 次々と出すことのない状態にまで心を集中させる ことである。 対象を認定するためにこういう知識をすべて持ち 出すのは、心の持つ性質である。 しかし、このようなとめどない考察は、より深い ところに進んで対象の深層にある核心、対象の 何たるかを認識するには妨げとなる。 このように対象の模倣が続く限り、 対象の何たるかは認識できないのである。
思い込み。 これは《思い込み》です。 過去の経験から勝手に決定してしまうようなヤツ。 この感じは、、そう!あれです☆
聞く耳をもたない人
《思い込み》とそれからの《決めつけ》 これはある種の「この人には何を言っても無駄」と 思わせるようなアレですw ばっさり切り捨ててる。空前絶後のバッサリ感! 決めつけるということは世界を狭める効果がある。 わかったような気になる、とか。 旅番組やインターネットで行った気になる、とか。 実際にその土地に足を降ろすだけで、まったく 新しい驚きがうまれます! ですが、切り捨てているために新しい何かを発見で きなくなります。 会話の中でそういったものに出くわしたとき、 わたしは常にこう考えています。
柔軟になれないほど、この人には何かがあった
過去の出来事、特につらいことがあればあるほど 人間は切り捨てることが多くなるからです 裏切られたりした過去はなかなか浄化できない。 過去を繰り返さないために全否定にかかるのです。 これがその人をつくっている場合がある。 世界が狭くなるのも道理です。。 感情的になればなるほど爆発的に増幅します。 記憶ってとてもおそろしい もどします。
この専心は、蓄積された知識を現在の瞬間に 投影するという心の本来の状態がなくなって しまったかのように見える。 これが記憶の浄化である。 過去は記憶に印象を残し、そのため記憶は 「染みのついた」とか 「純粋でない」とか言われる。 記憶が浄化されるというのは、記憶が消された ことを意味しているのではない。 過去を現在に永続的に投影していたのが、 《随意》になったということである。 ※随意:束縛や制限のないこと ヨーギはこの段階において、叡智に入るのか、 あるいは記憶を使って結論に至るのかを 《選択》できるのだ。 記憶を意のままに使うこともできるが、 瞑想の時のように必要でなければ使わないでいる のもまた自由なのである。 つまり、常にくだらないおしゃべりをするという 心の本来の状態が取り除かれるのである。 その結果 初めて心の中には瞑想の対象だけが 輝き現れる。 こうであるに違いない、と信じるものと一緒に ならなくとも、それだけで目に見えるのである。 重要なのは、初めてその対象そのものを見ること ができるという点である。 これは、真に生きていることを意味するものだ。
大事じゃないものはひとつもない、生きること。 恋をすると世界の色が変わるとか言いますが、 恋をしなくても世界の色は変わります(爆) ドキドキとかワクワクとか心躍るアレw
◎箸が転がってもほんとうにおもしろい◎
そんなことを “自分が生きている” と自覚したとき に初めて知りましたw 生きてる!!っていう実感。 なにものにもかえられない実感です
私たちが職場からの帰途についているとしよう。 何度も通ったその道は、過去を通して知っている ものに思われ、退屈に感じられる。 しかし、毎日の日の光は違うのではないだろうか 空の色、空気の匂い、木々の葉や花々の変化、 空飛ぶ鳥たちはどうだろうか。 これらはすべて一瞬一瞬完全に新鮮であたらしく それに気づかないのはただ昨日を今日に投影して いるからに他ならない。 このため頭の中の小さな枠組みに従って、 生命から絶えず与えられる多くの呼び声が聞こえ ていないのである。 もし死が近く、この道を車で通るのもこれが最後 だと思えば、状況はまったく異なるだろう。 突然、すべてのものを鮮明に知覚するようになる はずだ。
これは誠にそのとおりで自分もそうでした 明日しぬかもしれない あのとき初めて生きていることに感謝しました 感謝しかなかったのです
あれほどまで感謝したことはありません
あのときを経験してから人同士が争ったりするのが まったく理解できなくなりました 生きているって、ものすごいことです 光り輝いていないものなんてひとつもないんです!
どうやったらそんなものをひとりひとりから引き だせるのか、うけとっていただけるのか、 わたしのダンスの原点はここしかありません。 わたしが踊るダンスに疑問を投げかける方もたくさ んたくさんいらっしゃいます。 ですがわたしはどうやらダンスを踊りたいわけでは ないということです。 なにがしか得体の知れない何か どんな人にもとどくであろう何か
みんな死ぬとおもって毎日を生きていません。 っていうか死ぬとおもったら怖くて外でれません。 忘れてるからこそ毎日やっていけるのかもしれない でも、ふと立ち止まると確実に死ぬのです そのことを頭の片隅にあるのとないのでは、毎日が 激変します。 先ず、受け容れることに関して確実に寛容になる。 どんな人をみても人だなあっておもいますし わけのわからない人を見たって生きているんです そんなすべてをいとおしいなあ〜っておもうのです
◎毎日は、最初で最後◎
つづく。
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