断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2016年07月10日(日) 努力はすべての土台

「実践とは、止滅の状態にとどまるための努力」

 パタンジャリは、心の波を止滅するための二重の
 方法を説明した後、ここでまず2つのうちの実践
 を定義している。 私たちはすでに止滅の心を
 垣間見たことがあるかもしれないが、それは
 十分ではない。 安定して止滅の心の状態に
 とどまっていなくてはならないのだ。
 ヴィヤーサによると、安定とは止滅の心が穏やか
 に流れていく状態を指す。
 その穏やかな流れの中にとどまろうとする努力が
 実践である。 この努力は、力強く熱意に満ちた
 ものでなければならない。
 ヴィヤーサが、穏やかな流れの中にとどまるため
 の努力や精神や熱意を勧めているということには
 驚くかもしれない。 しかし、もう一人のヴェー
 ダーンタの師・シャンカラは、ここでは努力、
 精神、熱意は同じことを意味していると述べて、
 ヴィヤーサの著述を確認している。
  パタンジャリのスートラとヴィヤーサの注釈書
 によって、シャンカラの次の詩が思い出される。

 「大志を抱く者は、瞑想を注意深く実践しな
  くてはならない。
  そうすれば自分でうまく統御でき、
  自然に湧き上がるように本来の歓喜が現れる」

 3人の師は皆、努力・実践・精神を実行すれば
 《本来の歓喜》、《穏やかな流れ》、
 《止滅の状態》が自然に現れ出ることについて
 繊細で深遠な理解を示している。
 これは2つの事実を示すものである。
 1つ目は、昔はヴェーダーンタとヨーガの間に
 現代のヴェーダーンタの師が主張するほどの差
 はなかったということだ。
 2つ目は、《自然なままでいるだけであり、
 人工的な努力などまったく必要ない》という、
 現代の師たちによる教えにありがちで、
 ヒッピー世代の考えに大変心地よく適合する信念
 は、ヴェーダーンタ学派の創始者たちである、
 ヴィヤーサやシャンカラの教えを基にしたもので
 はないということである。
 ただありのままでいるというのは、何年もの実践
 と探求を積んだ後の大変高度な状態なのだ。
 ただ、心の気まぐれに従っているという心に服従
 するだけの状態とは違う。
 内なる自由は外的な枠組みと規律、つまり実践に
 よって到達されるものなのだ。
 外的な枠組みや規律は必要ないとする現代の師た
 ちの主張は、多くの人々を惹きつけるが、
 そうした態度は内面における独断的姿勢や限界へ
 とつながるものである。

この聖典に目を通して最初の台詞はこれでした!
「なんじゃこりゃあ!!!」(爆)
ヨーガとは心のはたらきを止滅させることである。
心1stでおどってきた自分にとって「止滅」の
文字に驚きを禁じ得ませんでしたw
でもよーく読んでみたら、、
心を殺すことではなかった!! 笑笑
ヨガに取り組めばわかりますが、ああそうだ、
これはダンスに取り組んでも同じことですが、
心の止滅というのはおおよそ雑念を払うことです。
上記での「私たちはすでに止滅の心を垣間見たこと
があるかもしれない」は《集中》でしょう。
集中すればおのずと雑念は消えますw
だから、たぶん。
みんな垣間見ているものだとおもわれます☆
垣間見たことない人なんて、、
この世にはいないんじゃないかなw
そういうわけで、今回はその先です。

《垣間見つづける》 笑笑

正直言って笑えません。
これを意識的におこなうのは甚だ困難なのです!
垣間見るのはできても垣間見つづけるというのはね
これはね、努力と根性いるとよねッッ
そうしてその先はその状態の《あたりまえ》ww

かなり遠い境地です(爆)

でもね、まあできるよね、たぶんww
がんばれば(爆)
この教義はおそろしくダンスです。
本番は《垣間見続けている》からです
雑念があるうちはおどりじゃありません。
得体の知れない何かがとおっていないからです。
上に書いてあるものを読んで
まことに痛快でした!!
なぜなら、ダンスに集中するとたしかに
《本来の歓喜が湧き上がってくる》んですッッ
その衝動は自動的にキます
ドッとあふれる何かを感じるのです
言葉にされているのを見て深く感じ入りました。
そんな “何か” が文章にされていただなんてね!
ほんとうにすごいと思いました。
集中というのは純粋さをひきだします。
かざらないその人自身をひきだします。

それは、ダンスになる瞬間だとおもうのです

これはもう技術とかの話じゃあありません!!
なんとも言えない感動です!!
わたしはそれを見てダンスをやめられなくなりまし
た。 ダンス、、ダンスは、ほんとうにすごい☆
どうやったらそれを共有できるのか。
わたし自身はここに挑戦している者です。
いいとかわるいとかじゃない何か。

生きてるってすごい
そんなダンスが踊りたいのです

さて、わたしの周囲にはヨガマスターの知人友人が
怒濤のようにいます。
おかげさまで本書『ヨーガ・スートラ』を課されて
いるわけです(爆)
そんな知人友人の中にたまに垣間見える人がいます
《自然なままでいるだけであり、
 人工的な努力などまったく必要ない》
ありのままをよし、としすぎるとここに着地します
スートラなど大変なものを学んでいる人だろうのに
突然切り捨てるような台詞が聞けるときがある。
わたしはいつもそれを疑問におもっていました。
“そこは成長したほうがいいんじゃないか”
ヨガを実践している人たちは受け容れることを
学んでいるため、当然話しかけやすい人たちで
オープンマインドです。
《そのままでよい》というのは心乱れている者に
とって救いの光のような一言です。
《私たちには欠けているものはなく、
 最初から満たされている》
この教え自体にはかなり気づかされました。
ほとんどの人が “たりない” と思っているのでは
ないでしょうか。
満たされているのを土台にすると、
世界は一変します。
なにしろ《たりているんです》!!!
ところがこの気づきが行き過ぎると大変です。

別に成長しなくてもいい

なにしろ生きているだけですごいことなのです
そのままで物凄いことなんです!!
そのことにはまったく間違いはありません
でも成長はしたほうがいいんじゃないかな―
そんな疑問にいきなり答えが書かれている聖典!

「実践とは、止滅の状態にとどまるための努力」

 ただありのままでいるというのは、何年もの実践
 と探求を積んだ後の大変高度な状態なのだ。
 ただ、心の気まぐれに従っているという心に服従
 するだけの状態とは違う。

“ありのまま” って、、
単なるありのままじゃあなかったのだ!!!
スートラ… すげえ 笑笑
実のところ自分もありのままでいい、っていうなら
もう踊らなくてもいいんじゃないか?ってなります
他人様のまえでおどる理由がない。。
だってすでに満ち足りているんだものね。
みんなありのままでいいっていうのなら、、
もう呼吸してるだけでいいじゃない☆
いつもここにたどりついてしまいます(爆)
しかし、わるく言ってるわけじゃありません。
ほんとに実践している人のとなりにいると、
不思議とそんな気持ちになるのですw
なにしろ圧倒的に自然体なんです!!
なぜあれほどに穏やかな空気が流れているのか、
まったくわかりません。
圧倒的幸福感ッッ
そんな人の近くにいると “つまらない衝動” が
ほんとうにつまらないものだと気づきますw
そんな高度な人たちがまわりにいればいるほど
つまらないものはおどれなくなる―(爆)
うおお!!
つまらないものたまにはおどりたいッッ
つまらないものにだってきっと何かはある!!
できません。。知ってしまうとかなり無理w

つまらない衝動ではない、ほんものの衝動を
いつも見つけなくてはなりませんw
ダンスってほんとうにヤバい☆
◎オートマティック努力◎

いつも見つける努力を土台に、
おたがいにその努力をあたりまえにしていけたら
もっともっとゆたかになれるとおもうのです
ひとりで完結できない何かをダンスにこめて
おどっていきたいとおもっています

つづく。


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