| 2016年07月09日(土) |
恋じゃ愛はわからない |
どうすれば、心の迷いとそれに伴う症状を 排除することができるのだろうか。 スートラでパタンジャリはすでに、オーム、 つまり至高の存在の意味を念想することで 障害に打ち勝つことができると言っている。 このスートラでは、すでに障害が生じた状況 について語っており、どうすればそれをなくせる かが問題となっている。
「もし障害が本当に生じてしまったら、 1つの方法を貫くことで 障害をなくすことができる」
とパタンジャリは言っている。 すでに心が乱され障害が生じている場合、 すべてのヨーガの方法を同時に実践して混乱を きたすのはよくない。 それよりも1つの方法に集中し、心が1点集中の 状態になれば、もっと高度なヨーガを用いた 手の込んだ計画に変更すればよいのである。 そうでなければ、井戸を掘りたいと思っている人 が鋤を地面に1回突き刺すたびに別の場所に移動 するようなものである。 そしておそらく、ある流派から別の流派へと移り 次には禅からチベット仏教へ、そしてスーフィー 教や老荘思想へと変わるのだ。 おそらく、どのやり方でも目的地にたどり着く だろう。 異なる人々の気質にふさわしいそれぞ れの方法がある。 しかし1つ共通しているのはフツーの人間が目的 に到達するには数十年を要するということだ。 新しい方法を発見することには、新しい相手と 恋に落ちるような興奮がある。 方法を変え、相手を変え続ければ、数年間は興奮 したままかもしれないが、それではヨーガにして も愛にしても、本当はどんなものかを知ることは 決してない。 人間関係を持つ目的は、他者の中に意識を認識す ることである。 ヨーガの目的は、自分自身の中に意識を認識する ことである。 ともに、同じ相手、 同じ方法を貫くことで到達できるのだ―
文章にしてある、というのは本当に凄い。 おそろしく明快です! ほんとうに自分に障害がおきたとき。 わたしたちは確実に心を乱します!! 現状だけを見てしまってどうしても散漫になる! どうすればいいの?どうすればいいの? どうすればいいの?どうすればいいの? どうすればいいの?どうすればいいの? 特に、失った場合。 喪失感に満たされると 《できること》をわすれてしまいます わたしの場合はスートラと逆をたどりました。 いろんなことを考えに考えて考えすぎて、 何も手につかなくなりました。 陥るというのはたいへんな危険です。 “それでもなんとかしよう” と思えたとき、 (自分の場合はたすけてくれた人がいたから) 《できることをする》人になれました! 考えに考えて考えることは苦しかったけれど、 決して自分にとってわるいことではありません でした。 考えたからこそ《これしかない》に たどり着いたのです。 《これしかない》にたどり着けば、 あとは何一つ考えることはありません。 《実行する》だけです
わたしの場合、 選べる選択肢・方法をもっていませんでした。 1つの方法《できることをする》にたどりつくまで べらぼうな時間を要してしまいましたが、 自分にとって、あの時間こそが今の自分を そだててくれた全てのはじまりです。 あの時があったおかげで今では選択肢と方法を 見出だすことができます。 振り返ると、おそらく、わたしたちは最初から 《選択肢と方法》をもっているわけじゃありません もっている人のほうが圧倒的に少ないと思います。 その最初はどんな人でも迷って苦しむはずです。 そして、その迷って苦しんだ回数だけ 選択肢と方法を得るのです。 それを通じて、迷わない1つの方法を取り出せるよう になるのではないでしょうか 《今回はこれでいく》 その迷わない方法はおおよそ経験を通すことで 選択肢にできるのだとおもいます。
◎問題なのはいつだって経験にないこと◎
実は起きる問題はすべて “別物” です。 同じものなんて何一つありません! “今” という時間があたらしいからです。 それは常に心を散漫に乱してきます☆ だから、いつも “今” を逃げずに向き合う姿勢が すべてのはじまりだとおもうのです
つづく。
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