断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2015年11月20日(金) 人よりも “教え”

『ブッダ最期のことば』第2回
ブッダ最期のことばをまとめた涅槃経。
死の直前、弟子達は不安に駆られ これから何を
道標に生きればよいのかとうろたえました。
そこでブッダは自分がいなくても自己鍛錬を
続けていく方法を授けます。
その教えは今を生きる私たちにとっても、
苦しみをやわらげる処方箋となりうるのです―

〜自分自身との向き合い方〜

実のところ、わたしは仏教を全然知りません。
大乗仏教のことを仏教だと思っていた。
いやあ無知でした。 おそろしく無知
小乗仏教。是非ご一読ください!!
本日のラスト、
のっぴきならないくらい知れちゃいます(爆)
では早速いきます!


 ブッダはナーディカ村へと移動。
 道中、アーナンダがブッダに質問をします。

「尊者さま、ナーディカ村でサールハという名の
 男の僧侶が死にました。
 彼はどこへ行くのでしょう?
 彼の未来はどのようなものですか?
 ナーディカ村でナンダーという名の女の僧侶が
 死にました。 彼女はどこへ行くのでしょう?」

 弟子アーナンダは立て続けに何人もの
 亡くなった修行者の名を上げつづけ、
 彼らはちゃんと涅槃に入ったのか
 ブッダに訊ねたのでした。
 つぎつぎに、何人も、です(爆)
 ブッダはアーナンダを制して言った。

「人というものは皆次々と死ぬものだ。
 その度にブッダのところへやって来て
 あれこれ尋ねるならたいへん煩わしいことになる。
 それゆえアーナンダよ、
 私は今《法の鏡》という名の教えを説こう。
 それを理解した立派な弟子は、
 もし望むなら自分の行く末を
 自分の力で見定めることができるであろう」

 ブッダがいなくても
 涅槃への道がちゃんと保障されているか、
 自分で判断できる基準《法鏡》を授けたのです

◎あなたの涅槃度チェック◎
1. ブッダに対して
 清らかな信頼の気持ちを起こしているか
2. ブッダの教えに対して
 清らかな信頼の気持ちを起こしているか
3. 仏教組織であるサンガに対して
 清らかな信頼の気持ちを起こしているか
4. 最高にすぐれた規律を身につけているか
◎これだけのことをやっていれば必ず涅槃◎

うそ!?
これ難しくなくない?!笑笑
いける。涅槃いけるw

先生は言った。
「すべてのサンガは
 “それぞれが同立して運営していけ”
 となってますから、
 それぞれの中で自分で自分を励まして
 修行していかなくちゃいけません。
 お師匠さんが免許皆伝を出すようになると
 サンガの中に権力構造が生まれてしまい、
 認める人と認められる人ができると
 自分は認める側に回りたいという形で
 今度は権力を巡っていろんな争いごとや
 欲望が起こります。 それを避けたいんですね。
 みんなが等しく生きがいを求めて努力するという
 指針を守りたいのです」

生きがいよりも組織の中で
上に上がることの方が価値をもってきてしまったら
…いかんッッ
《自分で自分を判断する》
これこそが大原則です!!!


ブッダの旅はつづきます。

アンバパーリーという遊女の林に滞在したブッダ。
遊女でも悩みをかかえ、
熱心な信者だったアンバパーリーは
ブッダたちを食事に招待。
ブッダは感謝しそれを承諾。
しかし、そこにリッチャヴィ族の裕福な者たちが
やってきます。
「私どものところでお食事を召して下さいませ」
「リッチャヴィの方々、私はすでに
 遊女のアンバパーリーから明日の食事を
 もらうことを承知してしまったのです」
「ああ、女にまけるとはなあ!
 女に出し抜かれるとはなあ!」
次の日アンバパーリーを尋ねたブッダ。
喜んだアンバパーリーは言った。
「尊者さま、私はこのマンゴーの林を
 尊者さまを指導者とするサンガの皆様のために
 お布施いたします」
こうしてブッダはマンゴーを…
教えを説いたのですw

先生は言った。
「インドは仏教が生まれる前からカースト制度が
 あった。 それを否定する形で仏教は生まれて
 きましたから、本来的に人間を生まれながらに
 差別することを絶対的に拒否する宗教です。
 お金もあるし土地もある、それでも遊女という
 立場は当時のインドでは低く卑しい身分だと
 考えられていたのです。
 リッチャヴィ族は物凄く腹が立ったから
 捨て台詞というわけですw
 ただし、この《平等》というのは
 我々が今考えている《平等でみんなよかった》
 という話じゃないんです。
 《全員 平等に不幸》がブッダの考え方。
 仏教の平等主義というのは《平等に苦しい》
 という意味での平等主義。
 生きものとして生まれていること自体が苦しみ。
 それは、年をとって病気になって死ぬという
 現象から絶対に逃れることができないからです。
 ◎生きていること自体が苦しみの原因◎
 マンゴーの林をブッダは受け付けますw
 ご飯から何から全部、
 一般の人たちからもらうことになる僧侶生活。
 いただくためには律に基づいて
 正しい生活をしなければなりません。
 これにより、お布施をしてくれるのです。
 その生活に説得力があるからなのです」

どんなことも、敬われる土台とは
こういうことではないでしょうか―


ブッダの旅はつづきます。

 大病を患ったブッダ。
 ちょうど雨季で、おそろしい病が流行っていた―
 死を意識したブッダは考えた。
「私が皆に別れを告げず、
 今すぐの涅槃はふさわしくない。
 私はこの病気をこらえて
 寿命を留めることにしよう」
 ブッダはほんとはここで死ぬだろうと感じていた
 アーナンダは不安になった。
「指導者がいなくなった時、
 私たちは何を拠り所にして道を歩めばよいのか」
 ブッダは言います。
「私は一切の隔てなく、すべての法を説いた。
 弟子に隠すような秘密などない。
 私をサンガの指導者だと言うのなら、
 何かを命じることもあるであろうが、
 私は指導者だと思っていないのだから
 何も命じることがない。
 自分自身を島とし、
 自分自身を拠り所として生きよ。
 それ以外のものを拠り所にしてはならない。
 ブッダの教えを島とし、
 ブッダの教えを拠り所として生きよ。
 それ以外のものを拠り所にしてはならない」

《自灯明法灯明》

先生は言います。
「ブッダというのは我々と同じ人間です。
 人間が正しい道を発見したわけですから、
 私たちにとって大事なのは
 人間そのものじゃなくて、
 その人が見つけてくれた《教え》
 それを拠り所にせよ、と言っています。
 もう一つは《自》
 つまり自分を拠り所にし、
 ブッダの教えを拠り所にする。
 これは2つなければなりません。
 自分だけ拠り所にしたら自分勝手になりますw
 ブッダの教えだけだと狂信的な活動になるw
 教えに沿って自分で努力せよ、ということです」

な、なるほどおおおおお これには唸りましたッッ
そしてさらに唸りを上げることになります!

「全ての人にそのままこれをやりなさい、
 って話じゃないんですよ?
 仏教っていうのは、あくまで生きてることに
 苦しみを感じた人を受け容れる宗教ですから、
 そういう人にこれを教えるんです。
 今しあわせいっぱいで、
 何の憂いもなく夢を抱えてる人に
 こんな話をしたって意味ありません。
 しかしながら、苦しみが増えてきた人に実は
 それを価値転換することで消す方法があります、
 とその時初めて教える、そういうものなんです。
 私はいつも《仏教は心の病院》と言っています。
 病院というのは出かけていく仕事じゃありません
 病気になった人に玄関を開いて
 いつでも入って来てください、
 と待ってる宗教です。
 その時にたすけてもらえなくても、
 たすけてもらえる場所があるということを
 知っているだけでやすらぎがうまれてきます」


宗教とは押し付けられるものだと思ってました。
戒律を押し付けられる、そう思っていたのです。

仏教が一気に開いた瞬間でした

子供の頃から仏像に向かって手を合わせてきました
しかしそれは自分と向き合うというより、
圧倒的に《他力本願》でした―

そう、今こそ自分自身に問おう!!

神様がわたしたちを導くんじゃありません。
導いてくれるのはわたしたち自身です☆


つづく


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