『愛の話 幸福の話』 てか、、チェック差し込みどんだけあるんだよ― あるんだよ― あるんだよ― つづきです
これから結婚して家庭を持つ人たちにできる ことはなんなのか。 ひとつ頭に入れておい てもらいたいことがあります。 家族という ものは、いつもハッピーで素敵なものではな いということです。 家族は学校の教室と同 じ。 寮生活と同じ。 ひとつ屋根の下にふ たり以上の人間が暮らすということは、忍耐 と努力と諦め以外の何ものでもありません。 放っておけば、無味乾燥で息苦しくてぶつか りあうばかり。 それを中和させ救うのが 文化というものなのです。 家の中にあふれる叙情 つまりリリシズムは 家族のオゾンになるのです
ここで《文化》という言葉が出てきたのに驚きま した。 文化は「文化」としか聞いたことがない。 ハッとさせられました
世直し対談でもこれがまた唸るんですよ!! 瀬戸内寂聴 × 美輪明宏
美輪 自分で自分を苦しめてる人って多いですね。 自分は人付き合いが下手だ、口下手で恋人に 逃げられる。 そういう不平不満だけ数えて 努力をしない。 自分だけが閉塞感を感じて いると勘違いしている。
瀬戸内 その閉塞感の原因は、想像力がないからだと 思いますよ。 自分のことしか見えてなくて 相手が何をしてほしいかということがわから ないんですよ。 相手が今どこか痛いんじゃないか、つらいん じゃないかとか、顔を見ればわかると思うん ですけどね。
ここでは《想像力》です!! わたしの場合はこの想像力にこそアクセスする 職業です。 わたしが踊った暁、その感想には このような文面が少なからず上がってきます。 「わからなかった」 わたしの場合ではありますが、そもそも “わかってもらおう” として踊っていません。 “何かを感じとってもらおう” と踊っています。 従って、「わからない」では、その人にとって ダンスになっていないということになります。 この感想は絶対に超えなくてはならない壁です。 なにしろわたしたちには《想像力》があるはず だからです!
この世に増殖しているのはヒトの形をしている けれど、人ではない有機物たちです。 そんな有機物たちが叫んでいる声が私には聞こ えます。 「素敵になりたい」 「幸せになりたい」 そのためには、まずやらなくてはならないこと があります。 自分という人間の中身を構築することです。 その作業を今からすぐに始めましょう。
私らしく生きたい。 そう思うなら、まず自分を知ることから始めな ければなりません。 容姿、容貌から好き嫌い、得手と不得手、 成功と失敗、過去と未来、長所と短所。 自分のすべてを表に書き出してごらんなさい。 その表は、それはそれは残酷なものかもしれま せん。 でも目をそむけてはいけません。 そんな今の自分を一度分析して細部まで理解で きないと自分らしさなんて見つかりっこありま せん。
自分らしく踊りたい、そう思ってずいぶんとりく んできました。 特に。音楽を使わずにダンスを見てもらおうとし たら、実のところ自分を深く深く掘り下げるほか ないのです。音の力は甚大で甚だ楽ができます。 生身だけというのはまったく拠り所がありません 頼れるのは自身だけです
自分がいったい何がしたいのか
その衝動を自分自身がわかっていなければ、人前 に出られません。 受け取ってもらいたいものがないのに踊りを踊る なんてできっこない! そういうわけで、即興ダンスともなればその究極 《今を感じ取る能力》を磨くほかありませんッッ
「今の私は本当の私じゃない」 よくこんな声を耳にします。 では、どんな私になりたいの? そう尋ねると具体的なイメージなんてないのです ただ、もっとほかに私らしい仕事があるはず、も っと私らしく生きられるはず、そう思い込んでい るのです。 私らしい仕事に出合えないから、今 の私は本当の私じゃない。 私らしい生き方がで きていないから、今の私は本当の私じゃない。 そう言ってる人たちの生活が、私には透けて見え るようです。 「このままじゃダメだ」と言いながら、何もして いないのです。 寝ブタみたいに、何もしないで ボケーッと部屋にいて棚からぼた餅を待ってる。 ぼた餅だって、見つけたら手を伸ばして取ってく る努力が必要です。 そして、食べたら口を動か さなければいけません。 そのまま飲み込んだら のどに詰まって死んでしまうのです―
寝ブタきたーーーーー(爆)
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