| 2015年08月07日(金) |
「今日が残りの人生最初の日」 |
この本を読んでいて先ず感じたことは、 文章についてでした 人それぞれ、ひとりひとりに、そのときの自分に すうっと入ってくる言葉があるのだろう そうおもうのです
その距離感は、まことにダンスそのもので まるっきりダンスなんじゃないかとおもうのです
ひとりに向き合うとき ふたりに向き合うとき たくさんの人に向き合うとき どれくらいの強度で向き合うか わたしたちはその全てを鑑みて、択んで言葉にします わたしは、それをダンスだと そうおもうのです 写真や絵でも、ひとに対するものなら そこには等しく距離感があるからです
『今日が残りの人生最初の日』 須藤元気 僕たちは人生のストーリーを、 自分で書き換える自由がある。
貴重な読書友U井さんが課してくれた二冊目w この二冊目が終わると怒濤のように美輪明宏本が、 やってきます(爆) これは、そんな未来を知らなかった頃のお話です―
どんなに時間がなくとも、本を読む時間は惜しまな いほうがいい。 本は人生への投資、人生の視野を 広くすることができるからだ。 そして、本を読んで大切なのは、“これはいい” と 思ったことを、すぐ実践してみることである。 ダイエットの本を読んだだけでやせた人はいないよ うに、本で得た情報は、行動に移して自分のものに しなくては望む結果は得られない。
自分が無意識にしていることが漠然と文章になってた 文章にできるというのはかなり凄いことだと感じます その方向性がわたしよりも明確だということです。 なんとなく、では意識が足りてないのです
◎その強度はすなわち成長の速度です◎
自覚しているのと無自覚は果てしなく違います。 すなわち筆者はそういう人間だとわかるのです。 その急進力は尋常ではないでしょう。
メールでも口頭でもいいのだが、学んだ知識をアウ トプットすると知識が定着して自分のものになる。 誰かに教えるときの “わかりやすくつたえよう” と する行為が、知識の定着を促進するのだ。 逆に言えば、誰かに教えられないということは、 知識が身についていない証拠でもある。
教えることこそ最大の学びなのだ。
実のところ、わたしがこのblogをしているのも、 自分を知ることに他ならないと感じています。 思っていることを文章にすると自分がわかってくるの ですw 日記などを書いてる人じゃないと共感はなかなか難し いかもしれませんが、書いていると《知らない自分》 が現れたりするのです。 これはArtをしている人であればみんなそうでしょう なにかに打ち込むその集中が雑念を払って、見えない ものが見えるのです! Artだけでなくスポーツでも何でもそうかも。
何かに必死に打ち込んだとき、 《自分を忘れる》からです
そのときこそ、ホンモノの自分 正にすべてを打ち払った自分がいるのです
その状態を知ってしまうともう麻薬のような気分です これがダンスをやめられない理由のひとつかもしれん
圧倒的自由!!
さて、本の話に戻すと、わたし自身も “これはいい” と思ったもの、たとえば、小説の登場人物の感性だっ たり、そういったものが刻みつきます。 そして自分の中で咀嚼して、なりたい自分にたしてい くのです。
それは、自分をつくりあげる過程といえます
めちゃくちゃいいと思った本を母に貸しました。 その本の記述のとおりに心の方向を示していけば、 すなわち人生が変わるような本。 実はその作者の本はわたしの父も数冊もっていた。 たずねたらそう答えたからだ。
だが二人とも実践はしなかった
書かれたものを書かれたもののままにしていた。 これじゃあ何も変わらない。 よくなることがない 変えようとしない理由がわたしにはわかりません
さっぱりぽんです
わたしはもっと明るくて楽しい両親がみたいのです 母は言いました。
「年を重ねるとなかなかできないものよ」
わたしはまったく信じません。 信じるもんか そんなものが年だなんてことあってたまるか だって、そんなことはないことを知っているからです わたしたちは― 変わろうと思えば、その瞬間に変われるんです!!
僕がプロの格闘家になって数年経ってから、高校時 代の同級生が亡くなった。 自殺だった。 それまで、僕の中で “自ら命を絶つ” ということに まったくリアリティはなかった。 誤解を恐れずにいえば、むしろ幕末や戦国時代の 切腹には、ある種の美しさすら感じていた。 しかし、同級生の死は、そんな美しいものではなか った。 プロの格闘家になる前の僕も悩みや葛藤が強く、 いつも不安定な状態だった。 悩んで病院に入るか 暴れて刑務所に行くか。 いまだから言えるが、 それくらい不安の極限状態だった時期もある。 不安の状態で、僕が無意識に取った行動は極端な ものだった。 それは、あえて死と向き合わざるを得ないことを 仕事にすることだった。 僕が選択したのは、フランス外人部隊に入隊するか プロ格闘家になるかだった。 結果的に格闘界に身を置くことになった僕は、少な からず死と向き合う格闘技での経験で、思考パター ンが少しずつ変わっていった。 つねに危険が伴う格闘技は、ときに死に至る可能性 だってある。 だからこそ、明日は何があるかわからないから、 毎瞬毎秒ベストを尽くして “いまを生きよう” とい う気持ちが生まれてきたのである。
悩みのない人生を送るのに必要なこと。 それは、“いま” を生きて、 “いま” を少し変える勇気を持つことだけだ。
このblogで何度も書いてきましたが、 わたしたちの迷いがないという力の源は、 《自分自身がいつか間違いなく死ぬ》という自覚です それを感じるには、おおよそ悲しみがあります。 たいせつな人の死。または自分の命。 死ぬということが絵空事でない出来事。 考えようによっては、迷ったりできるというのは しあわせではないのか?と思えるくらいですw 死ぬことがわかってしまうと迷うことがないからです たちどころに自分の方針が決まってしまう。 これは非情な事実です。
著書にはスティーブ・ジョブズの喩えがありました。
「その仕事は本当に今日やらねばいけないのか?」
「いいえ」
と答えることしかできなかったとき、彼はいつも やり方を変えてきた。 そして、毎日を最後の日だ と思って暮らしていたからこそ、余命を宣告されて も生きる力を失わなかった。 彼の成功の秘訣は、毎瞬毎秒を楽しいこと、やりた いことに費やしているところにあるといえる。
多くの人はずっと人生が続くと思っている。 しかし、人生には終わりがある。 だから、「これはいまやるべきか?」 「やりたいことはなんだ?」と 自分に問いかけてみることだ。
興味が湧いた方は是非読んでみて下さい。 書いてあることは、知っていることでも なかなか毎日向き合わないようなそんなことです 毎日というのは毎日じゃないということです
わたしたちはどんなことも気付きとともにあります 気付かないことにはただただ通り過ぎるだけのこと 気付いたときに、わたしたちはわたしたち自身と なっていくのだとおもいます
わたしはそんなきっかけのようなダンスが踊りたい いつもそうおもっています
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