| 2015年07月07日(火) |
「宇宙兄弟(25)」 |
数少ない全巻収集中のマンガですw 退院して、最新巻を読んでないことに気付く!
『宇宙兄弟』25 南波六太 宇宙へ! すべての出会いが夢へとつながっていた
下手したら毎巻、泣いてるかもしれないッッ でも、それほどの何かがこのマンガにはあります。 それは、主人公たちの意思や その方向に伴うと、 きっと “どんなことも大切だ” ということのような 気がするのです なぜなら登場人物すべて自分と向き合っていない 者がいないからです
打ち上げ前日。 六太は宇宙飛行士と一般人の、 ロープで隔てられた場所で父親に問われます。
「どうだ六太 このロープの “そっち側” は?」
過去、弟を父親と同じ場所から見送っている六太。
そーいや… あん時の俺は― ロープ一本の向こう側が やけに遠い “憧れ” に見えてたっけ…
「こっち側に立ってみると意外と冷静なもんでさ “使命感” みたいのがちょっとあって、 あとは全部― “楽しみたい感” だな」
驚きました その台詞はまったく自分にもあてはまります!! 伝わらなかったとしても 受け取ってさえもらえなかったとしても そこまでにやってきたことは決して小さくありません 信じて全力で取り組んでいない日はないのです この “楽しみたい感” というのは、 わたしにも本番直前におとずれます ギリギリまでどうやったら最善をつくせるか それから解放される瞬間は、直前しかないからです
できることをすべてやったとき
そうじゃなかったらきっとそんな気持ちにはならない んじゃないか。 そう感じるのです 天命を待つというのは、 もしかしたらそんな気分のことかもしれません 今ふと浮かんだことですが、 死ぬときも同じことができるかもしれない できることをすべてやれた、やってきたとしたら すくなくとも、してきたことには後悔がないからです 舞台に立つこととはそんな縮図ともいえます なぜなら本気で取り組んでいないことがないからです もしそれを続けられたら、
死ぬのも楽しめる気がします
やっぱり《自分が今できること》 これがすべての根本にあるのだとおもうのです
打ち上げ直前。 ロケットに乗り組んだ六太は、カウントダウンの最中 弟の言葉がめぐります
「隠すなよ 心で祈ってたって叶うもんじゃないだろ」
これは今ここで書いていても拳に力が入ります ほんとうにその通りだとおもうからです 行動している人はいつだって輝いています その人を間違うことがないのです わたしは自分の進むべき方向が見えたとき、 一気に未来がひらけたとき、 かならず不幸に見舞われてきました だからこそ、知っています
どんなこともダンスにつながっていること そして、踊ることだけがダンスではないこと
それをこれまで出会ってきた人たちが おしえてくれました
わたしはそれをどうにかして現出させたい そうおもっています
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