十時三十分。ざわめきがぴたっと止まった。 そこにいた全ての人の目が、一点に集中した。 その何百という視線の中、 ひとりの女性の姿が浮かび上がる。 「ナンバー・ワン」 広いサロンにアナウンスの声が響いた。 その声とともに、マヌカンのマリー・テレーズが 歩み出る。 そのとたん、どよめきが起きた。 どよめきは、彼女が身につけていたドレスに集中して いた視線から、沸き上がったものだった。
『Diorの世界』 川島ルミ子 今語られる “永遠のモード” の秘密
1947年、第二次世界大戦の終結を喜ぶパリに 彗星のように登場したクリスチャン・ディオール。 彼はその時、42歳。 そしてわずか10年後、 52歳で他界してしまった “モード界の革命児” その知られざる生涯とその時代背景を、 数多くの弟子や友人の証言を交えながら明かす。
先日、Diorでいただいた本を読破しました! これがDiorに働く人の常識なのでしょう。 かなり勉強した気分です☆ それもそのはず。 なぜなら、世界にその名が轟いている人のお話ですw その人の原点や考え方が勉強にならないわけがない!
「私がしたいのは、自分の名のつくメゾンをつく ることなのです。小規模なメゾンでいいのです。 アトリエで働く人も少人数でいいのです。 そして、そのアトリエで、本当にエレガントな 女性のために、最も優れたクチュールの伝統に したがって働くことなのです。 見かけはシン プルでも、懇切ていねいな制作をするのです。 そこでは、そうしたものしかつくらないのです」
やはりすべての資質は《気概》ではないでしょうか。 その根幹が曖昧では人のこころなど撃てやしません。 イヴ・サンローランのコメントが明白でした。
「私はムッシュ・ディオールと仕事机を共に有し ていました。 その時から、素晴らしい冒険が 始まったのです。 私たちは向かい合って仕事 をし、そこで私は熱愛したり、毛嫌いしたり、 しかし、絶対に放棄することができないこの仕 事の秘密や神秘性を学びとったのだということ ができるのです」
秘密や神秘性、、すごくわかる気がした。 わたし自身もダンスの秘密や神秘に触れたからこそ、 やめられなくなったのだとおもうのです。 《これしかない》 放棄できないんです それは、精魂ともいうべきものではないでしょうか。
「何もかも新たにしたいのです。 メゾンの場所 も自分で選びたいし、人選も自分で行い、内装 も自分で指示したいのです。 とかく機械化ば かり優先されている今のような時代だからこそ 昔のように、念入りに仕事をしたいのです」
これにもたいへん共感してしまいました。 これはリアルに《効率》を度外視しています。 この世の中でたいへんに生きづらい仕事です… だってフツーの仕事じゃないんです!! 自らの中から掘り起こす創造力のお仕事。 自らの中から生み出す仕事です。 人と人との関係が希薄になっている今だからこそ、 念入りに踊りたい。
果てしない仕事とのたたかい
各コレクションの制作は、布地の選択から始まる。 世界中の繊維業者が、新製品を最初に持ち込むの は、パリだった。 パリは世界のモードの中心で あり、そこで選択される布地が、その年の布地の 傾向を決定していたのである。 パリの名のあるメゾンが購入したとなると、それ が重要な宣伝となって、他の国での業績も上がる のであるから、繊維業者の熱がこもるのも当然で ある。 パリに持ち込まれる布地のサンプルは、毎回数千 にもおよんでいた。 専門のデザイナーたちによって作り出される布地 の種類は驚くほど豊富である。 創造可能な限り の多彩な色、柄、そして、何種類もの異なる品質 の布地。 それらがフランスの各地から、イタリ アから、イギリスから束となって届けられるので ある。 そうした布地を一同に並べると、それは、まさに 洪水である。 その、布地が作り出す洪水の真っ只中にたたずん で、選択をしなければならない。 どれもこれも 布地のデザイナーたちが、それぞれの才能を最大 限に発揮しながら生み出した製品であるから、一 点一点に魅力がある。 それに押し流されることなく、冷静に判断して選 択していくのである。 ただ単に、綺麗だからと か、可愛らしいからという自己満足のためだけに 購入することは避けなければならない。 その布 地を使って、自分がいったい何を作れるか、ある いは、何かを作りたいという意思があるのかどう か、ということが判断の基準になる。 布地からインスピレーションが湧くことも多いだ けに、その選択には神経を使うのである。
ついこの間まで衣服に関しては、買って着る、以上! みたいなことだったわたしは、どれだけレベル低かっ たんでしょうね(爆) 本番衣裳となれば考えないわけにはいきませんがw ほんとうにレベル低すぎたッッ 涙涙
服は、単に身に付けるだけのものではなく、 人に感動を与えるもの、 魂を持っているものであるというのが、 ディオールのモードに関する哲学であった。
しかし、その服が如何に最高の出来上がりであって も、世に送り出すだけの成熟性をそこに認めなけれ ば、人目に触れさせるわけにはいかないのである。
袖はもっと短いほうがいいだろう、 スカート丈が中途半端だ、 パッドの位置が悪い、ドレープに滑らかさがない… 袖は、いっそのこと取り除いてしまおう、 ドレープはもっと豊かにしよう。 このスカートに表れているラインはもしかしたら 身ごろに持っていったほうがいいかもしれない。 スカートを引きちぎってマヌカンの胸に当ててみる そうだ、そのほうがいい、それにしよう―
その感覚は、わたしにとっての振付中です! どんなことも “いいものにしよう” としたら終わりが ありません!! その積み重ねがすべてなんです ほんとうに真剣勝負。
最後の最後まで、 作ったり、ほどいたりの連続である。 「もし、コレクション発表の日が決まっていなか ったら、この繰り返しは、永遠に終わらないだ ろうと思うほどでした」 と、ディオールも語っている。
どの世界も真剣勝負がそうならないわけがない!! それがわかったら、自分も間違ってはいないのだと ちょっと安心しました
◎才能の違いがあろうとも向かう方角は同じだ◎
この本にはディオールの服を愛用していた、 ウォリス・シンプソン夫人の記述もあります。
ディオールが新しいコレクションを発表すると、 公爵夫人は、数多い作品の中からどれが自分に 似合うか、はっきりと意見を述べながら選ぶの だった。 ほっそりとした夫人は、シンプルな 服の中にこそ、本当のエレガンスがあることを よく知っている人だった。 昼間に散歩する時の服、ディナーのためのあら たまった服、舞踏会のロングドレスと、公爵夫 人は何度も吟味しながら選ぶのだった。 彼女は、美しくなるためには努力が必要である ことも知っていた。 仮縫いの間に、それがど んなに長くかかっても、じっと身動きもしない で立っているのだった―
この文章にはしびれました! “美しくなるためには努力が必要” これは誠にそのとおりです。 努力のない人は一目でわかってしまいます
どんなに振付がよかろうとその踊り手に成熟性を 見出だせなければ世に出すわけにはいきません。 作品はあくまでもこころの外観であって、 内面はその人次第です。 その人のもつ角度やそのスピードが感受性・情緒を引 き出すのです。 ダンスでの《作品》とは《再現性》です あのときの気持ち、ハートをどうかたちにするか それを再現する計画書ともいうべきもの。 もちろんその中に《今の自分》を投入しなければなら ないので全く同じというわけにはなかなかいきません しかし、《今》こそがもっとも大事です あのときわからなかったことが、今わかることもある それがダンスを豊かにするのだと信じています。
「服装には年齢はないのです。 ほかの人がどう思おうと、自分でいいと思った 服を着る勇気をもたなくてはいけないのです。 オシャレに気を配っている限り、 女性は年をとらないものなのです」
ディオールのつくった服は当時の希望そのものだった かもしれません。 ディオール初コレクションを目の前で見ることができ たジェリー・ジスキアは95歳になっても独特のオシャ レを楽しんでいたそうです。
「主人が画家だったので、ピカソとかマチスなど とも親しかったし、作家のヘミングウェイとか フォークナーともよく一緒に外出したりしてい ました。 芸術家は、デリケートな感覚をもっ ていますから、女性の服装にとても敏感です。 ですから、私は着るものにはいつも気を配って いました。 戦争のために、本当のオシャレが できなくて、気が滅入っていたその時に、ディ オールがあのような素晴らしいコレクションを 発表したのです。 私は嬉しくて仕方ありませ んでした。 以前のように思い切ったオシャレ をすることができるようになったのですから」
この本には服の可能性をおしえてもらいました。 今現在ではあまりにも選べるものが多いので忘れてし まいがちなこと。
◎もしこの世に無かったら “つくる” しかないッッ◎
そんな仕事のお話です。 自分の感性にしたがって、“どうしても” といった気持 ち、ハートの延長です。 そして何よりも大事なのは《誰かのために》という、 自己満足を超える思いがあるということ。 相手に向き合う姿勢。 これを決してまちがえないことが、未来につながって いるのではないか。 そうおもうのです
「服には魂が込められていなくてはならない」
踊りたい、強くそうおもいました
|