断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2015年05月30日(土) 松永先生葬儀

その事実を聞いたとき
圧倒的な理不尽を感じました
わたしたちのカラダを救ってきてくれた先生が、
亡くなってしまうだなんてまったく信じられない
練習でどうにも動けなくなっていた本番前。
これまで何度も無理を言ってしまった先生です。。
先生はそれでも夜遅くに施術してくれました
そうしてこれまで踊ってきたんです―
松永先生はほんとうに笑顔で、、
笑顔しか出てこないひとです
ほとけさまとなった先生の顔を拝見しましたが、
もう、、ぜんぜん違うひとだと感じた
別人だとおもった

 だって、だって… 笑っていないんですよ

ほんとうに笑顔しか出てこないんですッッ
先生は笑っているイメージしか出てきません。。
今このときになって気付いた

 先生はそれだけわたしの前で笑ってた

笑顔しか出てこないなんてとんでもないひとです
無理をしながら踊っているわたしたちを施術して
くれている先生が先に亡くなるなんておかしい
ひとのカラダのために尽力している先生が、
先生が亡くなるなんて、ぜったいにまちがっている
もしかみさまがいるのならぶん殴ってやりたい
そうおもったんです

 「タイスケくん、体の調子はどう?」

そのメールが最後でした
今年の2月のことでした
先生には去年、手術してから会えていません
わたしはそのとき自分の脚のことで精一杯でした

だからどうしたッッ

命のまえでどんなことも言い訳になるもんか!!!!

わたしは返信していなかった
よくなればすぐに会えるさ、そうおもってた
これを書きながら、泣きながら後悔しています
なぜそのときに返事をしなかったんだ、俺は!!

 いくら泣いても決して取り戻せない

あんなにわたしのことを心配してくださった先生。
先生こそがたいへんな時間をおくっていたはずです
なぜあのとき一言おくることができなかったのか
それは わたしの慢心です
わたしはわたし自身で手一杯でしたが、
先生はその比ではないひとだったんです
《そのとき》が一体どんなときか、
それは あとでわかるべきことじゃない

 いつでも《そのとき》を大事にしなければ
 どんなときも、一言が言えるひとでいたい

そう、わかっているはずなんです!
ステージで踊る人間がそれを知らないはずがない。
見に来てくれる人がいる、その時間がある
それがどれだけうれしいか
わたしでさえ自分のカラダのことを言えるひとは
限られています。
誰にでも言えることじゃない。
きっと先生も自分のことをそう考えていたはずです
だからこそ、一言にたいせつな意味がかくれてる
それがどんなに社交辞令な文面だったとしても
決して社交辞令や挨拶ではないのです
その深さは決して他者には量れないのです

ああ、松永先生
ほんとうにほんとうに今までおつかれさまでした
そして、ありがとうございましたッッ

松永先生のように毎日笑顔でいたい
いられるように毎日をがんばりたい
そして生きているかぎりそれができること
それを先生がおしえてくれました

また会えるのをたのしみにしています

それまでに、たくさん踊っておかなくちゃ


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Taisuke [HOMEPAGE]