つづきですw
「そうさ。ただこうして話し合っただけで、死など という問題が解決されるわけはないじゃないか。 やはり何のために自分は生きてるのだろうかと思 うと、何のためにも生きていない気がして寂しく なるだろう。 生きている意味がわからなきゃ、 死ぬ意味もわかりはしない。 たとえわかったところで、安心して死ねるという わけでもないさ」
さあ『塩狩峠』今日もいきます。 もういくしかない!!(爆) 後戻りできる日なんか一日だってありませんッッ
可憐な声が、童女のようにあどけない。 信夫はち らっと待子の花嫁姿を思った。 ふと目をやると、 ふじ子の臥ている壁に、押し花がズラリと貼られて いる。 信夫が折り折りに送った押し花である。 桜も、スミレも、梅も、それぞれに受け取った月日 を小さく書き込んで貼ってあった。 信夫は胸が熱くなった。 「永野さんの送って下さった押し花が、こんなに たくさんになったのよ」 信夫は何か胸のしめつけられるような思いがして、 あらためてふじ子の顔をじっと見た。 その信夫を ふじ子は静かに見返した。 恐ろしいほど澄んだ目 である。 と、その目にさっと涙が走った。 だが 次の瞬間、ふじ子はニッコリと笑っていた。 「わたし、ほんとうに押し花がうれしかったの」 笑ったその目から、ほろりと涙がこぼれた。 その涙を細い指でぬぐいながら、 「変ね、うれしい時でも涙が出るのかしら」 と、ふじ子ははじらった。 信夫は、そのふじ子を 見つめながら、心の底からふじ子をいとしいと思っ た。 この可憐なふじ子のために、どんなことでも してやりたいような思いがした。 自分でできるこ とがあれば、ふじ子を喜ばすためには、どんな努力 も惜しむまいと思った。 長い間東京で考えていた ふじ子とは、全くちがったその明るさに、信夫は感 動した。 それは、自分が健康な者としての憐れみ に似た思いではなく、尊敬ともいえる感情だった。
尊敬。 尊敬です 可愛いとか、綺麗じゃない!! その瞬間は やっぱり、こころだとおもう
物語の骨子にほとんど触れていませんが、 感想はここで終わりにしようと思います。 いろいろ悩んだのですが、 ここには信仰が大きく関わっており、 それは一人一人が読み解くべきものだからです。
この小説は昭和初期のお話で、主人公・永野信夫は、 実際に明治42年2月28日に殉職した長野政雄さんを 元につくられた人物です。 あとがきを見てわかったことですが、 これは《ほんとうにいた人》のお話なんです。 こんな人がほんとうにいた― そのことはわたしたちのこころをどれだけ救ってくれ るかしれません そのラストは胸がどうしようもなくしめつけられて、 何かをぐっと我慢しながら何度も読み返しました そこに人ひとりの命の重さ、尊さがあらわれるのです その時代は、クリスチャンに対しての風評が たいへんなものとして綴られていますが、問題は中身 人としての生き方です 信夫の生き様はそれを体現しており、それを知ってし まうと自分がどれだけ取るに足らない存在か、嫌でも わかってしまいます!! 人としての信条がどれほど人を強くするか
「君は愛の権化と言ひて可なり」
長野さんの当時の友人たちがそう書き記さずにはいら れなかったそうです。 その日常生活は心底 想像に余りあるものです。。 小説では、信夫の、三堀と本当の友だちになれるまで いつまでも待つというその意志は物凄いものでした。 話し合おうとする姿勢を決して曲げなかった。 ここまで粘り強い気持ちは、自分そして相手を信じて いなければ、到底できることではないと思います。 しかし、これこそが人として大事なものではないか。 わたしはそう信じます 人を切ってしまわないこと。 相手が聞こうとしない人でも待てる度量。 否定してしまうことがどれだけ簡単なことか。 その度量はどうすればゆたかになっていくのでしょう それにはやはり、毎日の《信条》ではないでしょうか ◎人とどう向き合っていきたいのか◎ ◎何をたいせつに生きていくのか◎ いつでもこころにフラグを立てておきたいですね そうすれば、自分自身を間違えることはありません! ダンスもまた同じ通り道だとおもいます
「吉川君、ぼくの一生は、だれよりもぼくにとって 一番大事なんだよ。 そのぼくが一番良い道だと 思って選んでいることなんだ」
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