本の話ができる人いたら、すごく楽しいですよねw どんな本が好きか聞くだけでも面白い。 本でその人の感性を知ることもできます! そんな数少ない友だちが課してくれましたッッ 笑笑
『塩狩峠』 三浦綾子 結納のために札幌に向かった鉄道職員 永野信夫の 乗った列車が、塩狩峠の頂上にさしかかった時、 突然客車が離れ、暴走し始めた― 声もなく恐怖に怯える乗客。 信夫は飛びつくようにブレーキに手をかけた― 明治末年、北海道塩狩峠で、自らの命を犠牲にして 大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫か れた生涯を描き、人間存在の意味を問う長編小説。
さっそく感想に入ります! まずは序盤からw
(子供を捨てて家を出て行く母が この世にあるだろうか) そんなみじめな気持ちを、子供の時に知ったという ことは、わずかの年月ではとうてい癒すことのでき ないものであった。 信夫はほんとうに母が自分を 愛していることを知りたかったのだ。 いま、母が自分の病気を案じて、昨日から眠らなか ったことを知った信夫は、いいようもない深い安堵 にも似た喜びを感じた。 (おかあさまは、やっぱりぼくのおかあさまだった のだ。待子だけのおかあさまではなかったのだ) 信夫は心からうれしかった。
「おかあさま」
信夫は、その喜びを言いたいような気がして母を呼 んだ。 だが、ひとことおかあさまと呼んだだけで 何も言わなくてもいいような、そのままそっくり自 分の気持ちが母に流れていっているような、そんな 気持ちがした。 こんなことは、今まで一度もないことであった―
その記述になんとも言えない気持ちになりました わたしは本番でそれを感じるのです もちろん本番なので母ではなくお客さまと、ですがw わたしは《ゼロ距離でダンスが進化する》という コンセプトを謳っています。 そういうわけで踊っている眼前にお客さんがいます! 舞台と客席を分断しない舞台設営です。 観客ひとりひとりの目の前にわたしがいることで、 他ではなかなか見られない “ダンス” を踊っています。 さすがに開演直後にそんな気持ちまでいけませんが、 体力もほどなく奪われた後半、それはやってきます。 集中。 集中でしょうね 張りつめた力がほどよく抜けたとき、 集中している空間は独特の様相を帯びます。 息を飲む音さえも聞こえるほどです。 ひとりひとりの目を見ながら踊ったとき、 目を外す人はひとりもいませんでした そのとき気付いたことがあります。
お互いを直視する瞬間には全くウソがないのです
お互いに流れている何か。それが “わかる” まるでその人の全てがわかるような感覚。 いや、実際 “わかる” んですw なぜ?と聞かれても答えようがありませんが、 これが わたし個人の《確信》です。 目が合うことで、踊っているわたしの努力を受け止め てくれているのを実感する瞬間。 踊ってみればわかりますが、ゼロ距離は賭けです。 一時が万事のような崖っぷちです。 ステージの上なら他人事にもできますが、 眼前の場合はまったくできません。 ステージよりも逃げ場がない。 立ち位置がみんなと同じだからです。 目の前の人に気持ちが届かなければ一巻の終わり。 余裕をもって挑んだことなんて一度もありません。 でも、そのぶん自分の全てをぶつけることができる。 自分の呼吸も聞かれるし、疲れさえ見られる。 良いものも悪いものもあるでしょう。 だからこそ、真に迫る何かがえぐられるはずです その密度が濃い空間で、さらに先が見えました。 わたし 対 観客、ではなく。 わたし 対 ひとりひとり。 全体ではなく目の前のひとりに集中したとき、 エネルギーが返ってきているのを感じるんです
流れるだけではなく《循環》している!!
一方通行じゃない。 それがわかったとき “これだ” とおもいました。 今、わたしが知りたいものはこの先にあります。 早く踊りに戻ってそれをたしかめたい。 そもそもわたしたちはいつも “これ” があるはずです ですが、いつも忘れているように生活しています。 “これ” は素直さ純粋さがなければ感じられないもの 通らないものではないでしょうか?? わたしたちの “ほんとう” は毎日の奥深くにあります それをダンスで探し出したい、そうおもっています
なんだか感想に全然なってないぞお… ですが続けますッッ(爆)
食事が終わると、女たちは茶の間に移った。 その時、信夫はふじ子が足を引きながら歩くうしろ 姿を、思わずじっと見てしまった。 その歩き方は 決してみにくいとは思わなかった。 何か不安定な 頼りなげな歩き方に、そばに行って、そっと肩を抱 きかかえてやりたいような、そんな感じがした。 そのふじ子をじっと見つめる信夫の顔を吉川は黙っ て見ていた。 「信夫君。ふじ子を可哀想な奴だと思うかい?」 言われて信夫は狼狽した。 「ううん、ちっとも…。 きれいになったと思いはしたけれどね」 信夫はそう言わざるを得なかった。 「あいつはね、足が悪いだろう。 だが、一度だっ て人の前に出るのをいやだと言ったことはない。 平気で毎日買い物にも行くし、こうして東京に来 ても、君の所に来る奴だ」 吉川は言葉を切った。 外は暗くなっている。 信夫は立って縁側の障子を閉めた。 「だがね、ほかの娘とはどこかやはりちがうような 気がするよ。 よく本を読むんだ。 ちっともひがんではいないようだし、自分の足の ことなど、これっぽっちも愚痴ったことがないん だ。 だがふじ子はね、足が悪いって、ある意味 ではしあわせね、生きるということに対して、 自覚的になるような気がするの、 なんて言うことはあるよ」
正直に言えば、これも毎日わすれてしまいそうになる ことです。 面と向かっては言えませんが、死ぬよう な目にあってしまうと自覚的にならざるを得ません。 ですが、こんなことはそうなってしまわないとわから ないことで、それを伝えようとしても伝わらないので す。 そして、みんなの当たり前が当たり前にできな くなったとき、それを盾にすると自分を弱者のように 感じてしまいます。 決して “できないことを振りか ざしたり” できないのです。 わたし自身、何とか克服できるようにもう6年も取り 組んでいることです。 当たり前にできるようになるにはたいへんな時間を要 しています。 かといって一般にそう見てくれる人なんていない。
“当たり前” のことは “当たり前” だからです
人間社会はおおよそそういったもので出来ています。 だから、そんな世界に一石を投じようとするのなら、 ここは絶対に乗り越えなければなりません!! ですがここでたいへんなことが起こります。 “当たり前” にできてしまうようになると、
生きているということに対して、 自覚的になれなくなってしまうのです。
感覚が元に戻るとたいせつなものを忘れてしまう。 当たり前になってしまうからです。 もしかしたら忘れていいものかもしれない。 ですが、そのくるしみの中にこそ大切な何かがある。 ダンスを踊ろうとするのなら、葛藤は切実です
「そうだよ! 考えてみると、永野君、今ふっと 思いついたことだがね。 世の病人や、不具者 というのは、人の心をやさしくするために、特 別にあるのじゃないかねえ」 吉川は目を輝かせた。 吉川のいうことをよく飲み込めずに、信夫が怪訝 そうな顔をした。 「そうだよ、永野君、ぼくはたった今まで、ただ 単にふじ子を足の不自由な、かわいそうな者と だけ思っていたんだ。 何でこんなふしあわせ に生まれついたんだろうと、ただただ、かわい そうに思っていたんだ。 だが、ぼくたちは病 気で苦しんでいる人を見ると、ああかわいそう だなあ、何とかして苦しみが和らがないものか と、同情するだろう? もしこの世に、病人や 不具者がなかったら、人間は同情ということや やさしい心をあまり持たずに終わるのじゃない だろうか? ふじ子のあの足も、そう思って考 えると、ぼくの人間形成に、ずいぶん大きな影 響を与えていることになるような気がするね。 病人や、不具者は、人の心にやさしい思いを育 てるために、特別の使命を負ってこの世に生ま れて来ているんじゃないだろうか」 吉川は熱して語った。 「なるほどねえ。そうかもしれない。 だが、人間は君のように、弱い者に同情する者 ばかりだとはいえないからねえ。 長い病人が いると、早く死んでくれればいいとうちの者さ え心の中では思っているというからねえ」 「ああ、それは確かにあるな。 ふじ子だって、 小さい時から、足が悪いばかりに小さな子から もいじめられたり、今だって、さげすむような 目で見ていく奴も多いからなあ」 紺がすりの袖から陽にやけた太い腕を見せて、 吉川は腕組みをした。 茶の間の方から待子たちの何か話す声が聞こえる 「うん、そうか!」 吉川が大きくうなずいた。 「じゃ、こういうことはいえないか? ふじ子たちのようなのは、この世の人間の資金 石のようなものではないか? どの人間も、全く優劣がなく、能力も容貌も、 体力も体格も同じだったとしたら、自分自身が どんな人間かなかなかわかりはしない。 しかし、ここにひとりの病人がいるとする。 甲はそれを見てやさしい心が引き出され、 乙はそれを見て冷酷な心になるとする。 ここで明らかに人間は分けられてしまう。 ということにはならないだろうか?」 吉川は考え深そうな目で、信夫の顔をのぞきこむ ように見た。 信夫は深くうなずいた。 うなずきながら、自分が今日感じたバラの美しさ を思い出していた。 この地上のありとあらゆる ものに、存在の意味があるように思えてならなか った。
「花を見て美しいと思い、ふしぎと思う心が与えら れているかどうかは、やはりぼくたちにとって 大きな問題なんだろうね」
「そうだね。いっさいを無意味だといえばそれまで だが、ぼくはすべての言葉を意味深く感じとって 生きていきたいと思うよ。 君のおとうさんの死だって、ぼくの父のあの突然 の死だって、残されたぼくたちが意味深く受けと めて生きていく時に、ほんとうの意味で、死んだ 人の命が、このぼくたちの中で、生きていると いえるのではないだろうか―」
この会話にはとても救われる気がしました わたし自身が舞台に立つとき、どうしてもよぎること それは “全否定されるかもしれない” です。 どんなに努力しても分かれるものがある。 たとえ不自由さが目に見えなくても、 わたしたちは簡単にその人を否定できてしまいます。 主観ひとつで人を、世界を、遮ってしまえるのです。 これは、実は怖いことではないでしょうか? たとえ怖いことでも、突き詰めればひとつ。 この会話がその通りであればその先があります 実は、わたしたち一人一人が、みんな特別なんです! “誰” が “何” であるかなんてぜんぜん関係ない。 そう、誰もが人の心をやさしくするために、 特別にあるはずですッッ そして、それはまた単に分ける者ともなりうること。 だからこそ、まずは自分から人にやさしくありたい その気持ちを決して忘れずにいたい そうおもいます
つづく。
|