断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2015年02月28日(土) 「踊りに行くぜ!! II vol.5」

◎マサがコンテンポラリーダンスに帰ってきた◎
そんな舞台を見に行ってきました!
わたしが某事務所に所属していた頃からの仲間w
もう、ほんとうに、鋭く過去 笑笑
あれからどんな成長を遂げたのでしょうか―

 そのダンスを一目見ればわかるはずだ☆

マサが出演するのはラストの作品のようです。
マサは個性剥き出しの人間w
「ヒトって空飛べるんだよ〜 とうっ!」
って跳んで足首を複雑骨折した伝説の人間です。
そんな人物をどう捌いたんでしょうか!?
たのしみだなぁ いや、ほんとうにw

 『踊りに行くぜ!! II vol.5』
  世界とダンスが繋がるとき

過去わたしも出演してきたproject。
当初、その舞台には物凄い人たちが出演していた。
黒沢美香・山田せつ子・山崎広太・室伏鴻・近藤良平
現在、日本を代表する舞踊家たち。
ダンスを学ぶ大きな転機でした。
そんな偉大な舞踊家たちと出会った “あの感じ” 。

 昨今のprojectにはまるで感じません

今でさえ、過去の輝きが増しているくらいです!!
それだけダンスに “内実” があったのだと思います。
《その人》が《その人》であることの凄み。
一体あの凄みはどこへ行ったんでしょうか。
あの感覚こそは、わたしたちが受け継がなくては!!
どれを見てもすごく浅はかに感じます。。

 人間の厚みが見えない

どんなに見た目が暗いものだろうと、
偉大な踊りには光が、そして人が見えます
一般的に、コンテンポラリーダンスには
“暗い” という、イメージが貼り付いています。
なぜならそのダンスが無形であるからです
単純なものをおどっていないからです
こころのかたちが無限だからです
だからこそ、そのダンスが本物なら
たとえ暗くとも納得させられる《何か》がある
むしろ暗闇の中でこそ輝くような《何か》
それは希望ともいうべき《何か》です

 これは踊り手の内実に直結しています

舞台の話にもどります。
ダンサーというよりも “演劇人” の踊り。
これはもう一目でわかります。
“演じている” からです。

 ダンスは、演じるとは違うんじゃないか

それから、たいへんなフィジカル女子の踊り。
そのカラダから鬼のような気迫を感じますが、
中身がなくて、すごく空虚な気持ちになりました

 踊りたいものを踊れない、選ばれなかった
 そんなものへの憤りを感じた

コンテンポラリーダンスを踊る人には、
選ばれなかった人たちが数多くいるのが現実です。
それは《ジャンルに選ばれなかった人たち》
“それでも踊りたい”
しかし、ジャンルに囚われている人は、
どうしてもジャンルが吹き出してしまうのです。

 ほんとうにやりたいダンスがわかってしまう

これが見えてしまうと作品には入れません。
ダンスを踊る以前の問題です。
いったい何が踊りたいのか。
見てくれる人に何をつたえたいのか。
作品の本音が見えてこなくなってしまいます。
これは “作品” にとっては由々しき問題です。

 わたしは気分が悪くなって席を立ちました

今まで、一度だってやったことがないことです。
それくらいダンスに希望が見えなかった。
わたし自身にも手痛い戒めとなりました。。

外に出たらマサがいたw
出演するのは次の作品だったからです。
って客席通路から登場するのかよ― 笑笑
とりあえず応援しときました「がんばれ〜」ってw
そしてダンスが始まった。

 マサはマサでした(爆)

何もかわってないな、マサッッ 笑笑
そのダンスの感触は正にマサのままでした!!
なんだか不意になつかしい気持ちがしたw

ダンスってそういうものかもしれません

それはきっとマサがマサだったからです


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Taisuke [HOMEPAGE]