生きるべきか 死ぬべきか それが問題だ―
『ハムレット』 なるようになればよい
物語の舞台は中世デンマーク。 ハムレットは王である父の急死で、 留学先から呼び戻される。 王位に就いたのは亡き父の弟クローディアス。 母は叔父を結婚相手に選んだのだ。 ある晩、父の亡霊が現れ、 「自分を殺したのはクローディアスだ」と告げる。 ハムレットは叔父への復讐を誓うが、 なかなか実行に移すことができない… そんなハムレットに翻弄される恋人オフィーリア。 やがて彼女は狂気に堕ちてゆく… また、ハムレットの復讐心に気付いた、 クローディアスはその命を狙うようになる。 〜復讐が遅れるほどに悲劇は拡大していくのだった〜
さて年末は『ハムレット』でした。 去年のことだし、見なかったふり…できん!! 舞台人なら、できるわけがないッッ(爆) あらためて番組を復讐w 一気見してきました―
さて、まず第一回で明らかになる原作ハムレット像。 今回はT大の先生が親身におしえてくれましたw
ハムレットは太っていた そして優柔不断ではなかった
わたしたちが思い描くハムレットは、 18〜19世紀のロマン派の作家たちによってでっち… 作り上げられたものらしい。 原文のハムレットは太っててヒゲまで生やしていた。 シェイクスピアの時代では、 太っている者がイケメ… 理想とされていた― 貧しい人は痩せており、 太っていること自体がステータスだったのである。 痩せているのは軽蔑対象になるほどです。
中世に生まれてなくてほんとうによかった
中世は宗教が大きな力を持つ時代。 人は神と悪魔の間にいた熱情の時代 近代は “我思う 故に我あり” 神の存在を前提としないで、考えるという理性の時代 神がいなくても自分だけで人間は存在できる、と いうのが近代的な《自我》。 つまりハムレットは近代的な人間の先駆けらしい!!
【人間の価値観の転換期における芝居】
なんと第五幕に入ると父の亡霊は一切出てきませんw それを見ても、 《亡霊の命令を実行するというお芝居》ではなくて、 《人間としてどう生きるべきか》ということを 題材とした芝居だということが見えてきます、と。
価値観が激動する時代。 時代の中で自分の生き方を探ってかなきゃいけない。 そうなるとハムレットという作品は、 単なる優柔不断な性格の男の物語ではなくて、 誰にでも当てはまる、理性と熱情の状況に落ち込んで 動けなくなった男の話だと解釈できると思うんですね
【すべての人間に共通する悩みを芝居にしていた】
番組では例の台詞が語られました。 わたしもその冒頭部しか知らなかった。
「生きるべきか 死ぬべきか それが問題だ」
これだけを見ると生死に焦点がありますが、 実はこの台詞の先に本物の焦点があったんです―
「生きるべきか 死ぬべきか それが問題だ。 どちらが気高い心にふさわしいのか。 非道な運命の矢弾をじっと耐え忍ぶか、 それとも 怒濤の苦難に斬りかかり、 戦って相果てるか。 死ぬことは眠ること、それだけだ。 眠りによって、心の痛みも、 肉体が抱える数限りない苦しみも終わりを告げる それこそ願ってもない最上の結末だ。 死ぬ、眠る。 眠る、おそらくは夢を見る そう、そこでひっかかる。 一体、死という眠りの中でどんな夢を見るのか? ようやく人生のしがらみを振り切ったというのに だから、ためらう」
これには度肝を抜かれました!! 生きるべきか 死ぬべきか。 その最も大事な部分は… 《より気高い生き方はどちらか》なんです☆ 「生きる」「死ぬ」が問題じゃないんですよッッ
◎理想的な生き方とは何か◎
わたしはこれから『ハムレット』の話が出たら、 この台詞でいこうと思います。
「尼寺へ行け」
弱き者、汝の名は女。 さて最終回には狂言師 野村萬斎氏が登場。 彼はシェイクスピア演劇的哲学を語ってくれました!
「芝居は世の中を映し出す鏡である」
これはもうシェイクスピアに限らず、 演劇や芸術の基本なのではないでしょうか??
「演技を言葉に合わせ、 言葉を演技に合わせるのだ 特に厳守してもらいたいのは、 《自然の節度を超えないこと》 何事もやりすぎは芝居の目的に反する 芝居の目的とは 昔も今も いわば 自然に向かって鏡を掲げること つまり美徳には美徳の様相を 愚には愚のイメージを 時代と風潮にはその形や姿を示すことだ やりすぎたり いい加減であったりすれば 一般客は笑っても 目利きの客は悲しむことになる」
萬斎氏は続けます。
人間が劇場にやら映画館やら いろんなものに足を運んで鑑賞するっていったとき には演者であったりミュージシャンを見るのかも しれませんけど、 やっぱりそこに自分を映すってことでもある。 ◎舞台を見ると自分自身のことも見えてくる◎ 劇場の鏡面構造ってものを端的に言い表しているし 私たち作り手も良い鏡にならなければならない、 というね。 まあ我々は型があるので、型に従って演じますけど やっぱり心がないと形だけになってしまいますしね そういう意味で言うと… 《人間を磨くしかないんだ》って気がしますけどね
今の人が見て感じる、時代がそのまま映るという、 そこがシェイクスピアの魅力かな、 という気がしますね。
この論理は非情に納得がいくものでした! わたしが踊るダンスには型がありません。 だからこそ型を練習するんです。 心の力は物凄いもので、没入すると制御できなくなり どうしても《やりすぎ》に傾いてしまうのです! 結果これにどう立ち向かうかが問われることになる。 自分本位の解放ならいくらでも出来ますが、 届けたい相手がいるのを決して忘れてはいけません。 自分の力を満足に発揮したいのはやまやまですが、 それよりも大事なことがある。 わたしはそんなダンスを踊っていきたい。
本当に《人間を磨くしかない》 そう感じています
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