| 2014年11月21日(金) |
「アンネの日記」(3) |
「1944年4月16日 だれよりも親愛なるキティーへ 昨日の日付けを覚えておいてください。 私の一生の、とても重要な日ですから。 もちろん、どんな女の子にとっても、 はじめてキスされた日と言えば、 記念すべき日でしょう? だったら、そう、私にとっても、 やっぱり大事な日であることは 言うまでもありません」
『アンネの日記』 〜性の芽生えと初恋〜
アンネの日記には、バージョンがある。 1942〜44 アンネの書いた原形 1944春 戦後発表するためにアンネ本人が清書 (オランダ政府の呼びかけで国民の手紙や手記を 戦時下の歴史的資料として集めようとした) アンネが自分の日記も是非世の中の人に 見てもらいたいと清書したもの 1947 父オットーによる編集版 1991 完全版の出版 (内容は編集版の3割増!!) 父オットーが亡くなったことによる完全版 増した部分は “性” に関する 完全版の宣伝キャッチフレーズ。 〜純真な少女のイメージが打ち砕かれた〜
先生は言いました。 編集版を読んできた人間なら皆思いますよ、 完全版、あのアンネなら当然だなとw どこがカットされていたか見ていくと、 お父さんの愛情の深さと、 親の想いを越えて成長していたアンネを 感じとることができますよね―
◎アンネ、最初のペーター裁定◎ 「もうじき16ですけど、ちょっぴりグズで はにかみ屋で、ぶきっちょな子です。 あんまり面白い遊び相手には なりそうもありません」
スタート時点ではペーター全否定気味― 猫を通じてマイナスから一気にプラスに転じる落差! これか、これなのか!! 猫か、猫なのか!!(爆)
アンネはペーターが口下手ながら心の内に様々な思いを抱えているのだと気が付き、やがて2人は毎日のように屋根裏部屋で語り合うようになります。 そしてアンネは恋に落ちるのでした。
「朝早くから夜遅くまでペーターのことを 考えるばかりで他のことは手につきません。 すべてが生き生きと躍動して、 私たちの心を揺さぶり、あまりの感動に ふたりともしばらく口もきけません。 どちらもうっかり口をきいて、このひとときの 魔法を破ってはならないと感じていました。 それを見ながら私は考えました。 これが存在しているうちは、 そして私が生きてこれを見られるうちは― この日光、この晴れた空、これらがあるうちは、 けっして不幸にはならないわ」
アンネの世界が変わった瞬間です!! 問題なのは、文章の “これ” 。 「これが存在しているうちは」 これって何なんでしょうか?? 「それを見ながら私は考えました」 それって何なんでしょうか?? “これ” こそが不幸にならない正体なんです!! 街を歩く人のほとんどが憂鬱そうな現代では、 “生きていること” をどう考えているのか。 この文章を見るとどうしても問われてしまいます。
生きていることに感謝するってどんなときなのか
気付かされるのはアンネの境遇からでも、 《希望》が見出だされていることです!! それも、失って気付いたものじゃないんです!! 自分の中から “あふれでた” もの。 自分だけじゃなく相手がいることから。
誰かと大切な何かを共有したときじゃないでしょうか
感謝こそはわたしたちが他者とわかちあえるものです そう思ったら、感謝はしあわせに直結している、 感謝の先にしあわせがあるんじゃないのか? 感謝のない人はまず話が通じないでしょw なにかを分かち合う寄る辺が見当たらないからです。 残念ながら、 これは自分本位の人にほぼ当てはまってしまいます。 自分だけが気分よければいい。 誰かと何かを分かち合わなくてもいいんです! じゃあ自分本位の人っていつもしあわせなのかな?? いいや違うw おそらく《自分は他の人間と違う》っていう自覚の 上にしかないんじゃないかな?? そのしあわせ。 それって実は、他者がいないと確立しないよね 笑笑
◎ペーターとの会話◎ 「君はいつだって僕を励ましてくれてるじゃないか」 アンネ「どうやって?」 「その朗らかさでさ」
この極限状態とも言える中で、恋してた ある日、アンネはいつに無く感情的になります。 込み上げる想いに身を任せ、二人はけっして離れまいとするように何度も固く抱きあった。
「ペーターはこれまで誰も触れたことのないほど 深く、私の感情に触れました。 彼は私をとらえ、中身を外に、外面をなかに、 裏返しにしてしまいました。 ああ、ペーター、あなたは私に何をしたの?」
これは…ダンス言語です!! 「中身を外に、外面をなかに、裏返しにした」 これは…踊りたくなってしまいます! かんたんに言ってしまえば、 これを漠然とぶつけられたら、 わからないですよね? わかりにくいですよね? でも…わかるw わかりますよね?? それは、言い表せない《なにか》だからです 言葉ではたりない感動 わたしは言葉にできないからおどっています 言葉で正確に伝えられるなら苦労しませんw そういうわけで… わたしのノートは悩ましげな言語ばかりです(爆) いったいどう踊れっていうんでしょうか 涙涙
感情に飲み込まれる経験はアンネに怖れを抱かせます。 それ以来、アンネは自分を制御してペーターとの関係にも距離を置くようになりました―
ほとほとすごい描写です。 そして、冷静になるアンネ。
先生は言います。 お父さんを裏切るようなことだけはしちゃダメだ、 っていう気持ちがあったとおもいます。 自分のカラダを自分で守らなきゃいけない、 女の子特有のブレーキも持ってる。
ペーターも命を奪われるその未来の中で、 この恋がどれほどの輝きを得ていたのかわからない。 甚だ複雑な気持ちになりました…
◎アンネの心の成長◎ 「私はますます両親から離れて、 一個の独立した人間になろうとしています。 まだ未熟ですけど、お母さんよりも勇気をもって 人生に立ち向かっています。 自分が何を求めているかも知っていますし、 目標も、自分なりの意見も、信仰も、 愛も持っています。 私が私として生きることを許してほしい」
先生 ペーターとの恋愛経験がそれまで屈折していた お母さんとの関係にも変化をもたらしました。 だんだん、 お母さんが如何に自分を子ども扱いしようと、 それは《お母さんの問題である》、と。 そして、自分はお母さんのような生き方はしない、 お母さんを乗り越えて自分の人生を生きていくんだ、 そんな風に一つ階段を上ったんじゃないかと思います。 相手の気持ちをそっくりそのまま、 いくら親子でも 共有することはできないんだ。 自分にも秘密が出来てきているわけですものね。
深い、深いですよね― 《相手》のある関係を、自分なりに どうしようとしていたか見出だせる文章です! そのためには《自分》を確立させること。 それをこんな年で自覚しているだなんて、 文章に、言葉にできるだなんて…
先生 サナギの内部では次の成長に向けて 凄まじいことが起こっている。 機が熟せば劇的に蝶がうまれてくる、アンネもそんな 成長を遂げていたはずだったと思うんですよね。。
ここで伊集院光コメント炸裂。 難しいですね... いい環境って何だ? いい人生って何だ?って。。 おそらくこういう素晴らしい作品が残せないぐらい 自由で、何も考えなくてもいい環境のほうが いい環境じゃないですか、本来なら。 隠れ家生活だったからこそ、凝縮されて こういうものがうまれたってこと。 皮肉さとかアンバランスさに複雑な気持ちになる。
先生は締めます。 アンネにも生き延びる権利はあったんです しかしこの特別な才能をもった少女が隠れ家という サナギの時期を、 まさに思春期に過ごしたということが、 意味深いことなんだということを 生きている我々はこの本から感じ取るべきですよね―
アンネはすばらしい日記を遺しましたが、 それがいいことだったのかわるいことだったのか だれにもわかりません。 文学として見れば凄まじい功績です。 だけど功績だなんてとても言えません!! だからといって、何も考えることもなく 悩むこともなく死んでいくことが 果たして人間のしあわせなのか わからないんです 毎日をおもしろおかしくすごせたらいいのか それだけでしあわせだと呼べるのか
ダンスは その人の感性の圧縮、人生そのものです 技術とは違う尺度、性質。 自分のカラダに真摯に向き合うこと。 本番の一つ一つがそんな毎日の凝縮です。 決して曖昧でない厳しさで挑む毎日。 しかし、だからといってそれは 誰もが感じ取ってくれるものではありません。 いつだって全否定されかねないものです アンネの日記は決してしあわせな本と言えません。 とても複雑なものを感じずにはいられないんです。 ここに不思議な共通点を感じるのです。 何かを生みだすということ。 わたしはダンスに希望を見出だしました。 そのダンスを受け取ってもらうには、 何よりもまず、素直に踊ることではないでしょうか わたしのなかのダンスを、 アンネの言葉のように。
「私のなかには春がいて、 それが目覚めかけているのだと。 全身全霊でそれを感じます」
|