断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2014年11月20日(木) 「アンネの日記」(2)

敬遠されるかもしれませんがッッ 行きます。

 『アンネの日記』
 〜思春期の揺れる心〜

なんとアンネは友だちの寸評を日記に書いていたw
 「ベティー・ブルーメンダールは なんとなく
  みすぼらしく見えますけど
  たぶん本当に貧しいんだと思います」
 「E.Sはおしゃべりな子で、そのおしゃべりの
  しつこさたるや半端じゃありません」
 「J.Rは、自分では美人のつもりでいるみたいだけど
  実はその正反対」
 「G.Zは、とってもかわいい顔をしてますけど
  あいにくお勉強の方はさっぱりです」
うわー、これ、うわー 笑笑
ちなみにアンネ自身のこともあります。
 「ボーイフレンドはぞろぞろいます」
 「男の子は十中八九、私にのぼせあがります」
なんということでしょう 笑笑

アンネは空想を現実のように喜ぶ能力があったらしい

それってリアル赤毛のアンじゃないの!?
おそらくは、日記に書いてるほど
男の子にモテたわけじゃないとのことですw

アンネは自分のことを相当《盛って》いた― (爆)

先生は言いました。
《盛る》ってことは物語をつくっているのと同じ。
物語作家なんですよ。

隠れ家には合計8人が暮らしていた。
一番年下だったアンネはいつも子供扱い。

 「実際ファン・ダーンのおばさんというのは、
  すばらしい人です!
  模範的なお手本を示してくれます。
  ...見習うべきです、反面教師として。
  もうそのおばさんがでしゃばりで、
  打算的で、欲深い。 虚栄心が強くて、
  浮気なたちだと付け加えてもいいでしょう。
  1冊のノートを埋め尽くすこともできるほど。
  ひょっとすると、
  いつか本当にそうするかもしれません」

ここで伊集院光が鋭い一言を放ちます!
僕らで言うと《ネタにすることで救われる》
日常生活をネタにした途端に、もうこれで
オッケーだということで何かすっとする。
ほんとに嫌なこと起こってんのに、
「こんなことあってさ〜」って言うと何とかなるw

わたしがこうやってblogにしてる毎日にも
そんな秘密が隠されているのかもしれません。
やっぱり毎日が苦しくてどうしようもないから。
文章にすると驚くほど納得できるふしがあるんです

そして日記にはこんな記述がその後付け足されます。

 「以上のくだりを書いているときには、
  まだ筆者の怒りがおさまっていませんでした。
  どうか読む方はこのことにご留意ください」

これは《わかる》ッッ 笑笑  わかるなぁ〜〜〜
日記付けてる人にわからない人はきっといませんw
文章にはそのときの気持ちが漏れるからです。
これはダンスでも同じ。
そのときの感情がカラダから漏れる。
わたしはそれこそがダンスと謳っていますから、
その感情をほんとうにほんとうに大事にしています
気持ちを大事にしない人にダンスは踊れない、
そうおもっています

アンネたちを支援したのはアンネの父の会社従業員。
命に関わる支援です。
支援者はどんな気持ちだったのか??
先生はミープさんに会ったとき、
どうしても聞いてしまったそうです。

 「死の危険があるのに
  なぜ人を助けることかできたのですか?」

そのときにミープさんは言ったそうです

 「理由はない」
 「人として当然なことをしただけ」

何度聞いても答えはそれだったそうです


2度目の秋が来ても一向に先が見えない状況で、隠れ家には重苦しい雰囲気が漂っていきました。 そんな中、思春期のアンネは親とぶつかるようになります。

 「パパもママもマルゴーのことは決して叱らず、
  もっぱら私にだけ雷を落とすというのは
  果たして偶然でしょうか?
  ママは何かというと姉の味方をします。
  ママとはあらゆる点で正反対です。
  ですから当然、衝突せざるを得ません。
  私はいつもママの悪い点には目を向けないように
  心がけています。
  なるべくママの良い点だけを見、
  ママの中に見出せないものは
  自分自身の中に求めようと努力しています」

正直、こんなに文章にしているなんて泣きそうです…
その、言葉にしようとするアンネに、なんとも
言えないほどの何かが押し寄せてくる。
親への反抗心ではありますが、
これほどのことを書いているのは14才なんです。
そして、日記にはこんな記述まであるそうです。

 「どうしてここまでママのことが嫌いになったか
  さっぱりわかりません」

先生言います。
このアンネが言葉に出来ないくらいなんですから、
理屈じゃないということなんでしょうかね。。
母親に対する厳しさを自分に振り返ってみても、
愛する人だからこそ《完全な人でいてもらいたい》
完璧を求めてしまうのが思春期ですよね。。
欠点を含めて相手を受け入れるほどの余裕がない。

そんなアンネだったけど、その先に新しい両親への関係が見え始めたところで日記は終わってしまいます。 アンネには価値観を押し付けるだけじゃない、柔軟な器が日記を書くことで芽生え始めていたのです。

◎孤独と向き合う◎

 「誰よりも親愛なるキティーへ
  ときどき気がふさいで、自分でもどうしようも
  なくなることがあります。
  外では鳥の声ひとつせず、息づまるような
  恐ろしい沈黙がいたるところにたれこめ、
  私を捕えて深い地の底に引きずりこもうとして
  いるかのようです。
  私は行き場を求めて部屋から部屋へとあてもなく
  彷徨いますが、気分はまるで、
  翼を切られて飛べない小鳥が、
  真っ暗闇の中でバタバタ籠にぶつかってるみたい」

この孤独の描写にはおどろきました。
とても14才とかが書けるような文章とは思えない。
描写というよりも《リアル》だったんでしょうね…

先生は言います。
余計なものと繋がってない《純粋な孤独》を
アンネは噛み締めているわけです。
そしてそれはネガティヴな孤独じゃなくて
《成長していくための孤独》なんですよね。
外の世界に広がっていけない分、
余計に自分の内面にしか移動の方法がない。
自分の内面を旅するときに、
アンネの頼りにしてたものが《言葉》だった。
言葉を頼りにして内面の旅をしていた、と
いうことなんじゃないでしょうか―

ここで鋭い伊集院コメントがまたもキます!!
さっきからなぜアンネの言葉が響くのか、っていうと
やっぱり《オリジナル》だからですよね!!
ありきたりのことだからありきたりの言葉で
書くんじゃないんですよね!
人に借りた言葉や、元々ある言葉を
《引用》するんじゃなくて、
自分の《言葉》で書き残そうとした

これにはほとほと唸りました―

大それた発言ではないつもりですが、
わたしは本物の孤独を味わったことがあります
それは、寝たきりだったとき
生きるか死ぬかの境界線にいたときです
あのときは薬を撃たれて
何も考える力はありませんでした
そして、たすかったときから始まります
あのときはカラダも動かせず、
《本当に》何もできませんでしたから、
考えることしかできませんでした。
考える時間だけが死ぬほどあったんです。
事故は不幸なことでしたが、先生が言ったように
あの時間こそが自分を育ててくれたのだと思うのです。
とてもとても苦しいときでしたが、あのときほど
自分のこと、両親、友だち、自分の夢について
深く深く考えたことがありません。
わたしのダンスは あのときがあったからこそ、
借り物じゃなくなったんです
その片鱗は見えていたつもりでしたが、まだまだでした
今ではダンスが《わたし自身》だとおもえるのです
わたしの踊りは自分にしかできない、そうおもうのです

すべては自分のダンスでしかつたえようがない

これは、決して傲慢な気持ちからではありません
バカにする人もあるかもしれません
ですが、ほんものの自分と向き合った結果なんだと
今ではそうおもうのです


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Taisuke [HOMEPAGE]