断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2014年11月19日(水) 「アンネの日記」(1)

◎親愛なるみなさまへ◎
ついにキタ。 キてしまった
これは某番組の個人的な感想です。
ってかもうこれ、番組そのままじゃね!?
ちなみにこの番組は半年後に再放送されますw
ちなみにそれは2015年3月。
先月です―(爆) NOW 2015年4月7日 涙

 再放送すらも終わってのblog化
 マジか。。
 我ながら涙なしには更新できませんでした

第二次世界大戦下のオランダで、一人の少女が書いた日記。 発表以来、聖書に次ぐ世界的ベストセラーに。 作者アンネ・フランクはオランダ アムステルダムの隠れ家で2年に渡り日記を書き続け、後にナチスの強制収容所で15才の生涯を終えてしまいます。。 長らくホロコーストの悲劇を伝える名著として読まれてきたアンネの日記。 しかし、実は思春期を迎えた女の子のありのままの姿が描かれた豊かな文学作品でもあるのです―

 「私は書きたいんです。
  いいえ、それだけじゃなく、
  心の底に埋もれているものを、
  あらいざらいさらけ出したいんです!」

もうこの一文で泣けてしまう

 『アンネの日記』
 〜潜伏生活の始まり〜

ユネスコ記憶遺産。
全世界2500万部のベストセラー。
日記を書く者にとって避けて通れない番組題材です。
そして、そのとおりでした…
深い… アンネの日記、深すぎる。。
それでいて明快なんですよ!!
その結末を知っているために、最初からその文章は、

 文章を超えてしまっています

そして、文章に、どれだけの力があるかということを
強烈に教えてくれました
わたしがblogにしていることもそんな日記の端くれです
「つまらない」といくらけなされようとそのどこかで
可能性を踏みにじってはいけない、そうおもっています


番組で、先生が言います。
 《戦争の悲劇を伝える》っていう、あるレッテルを
 貼られてしまったために、かえってきちんと読まれ
 なかった不幸もあったと思います。
 特殊な状況の中で思春期の葛藤や成長は普遍的な
 テーマですし、大人になった人が自分の思春期を
 振り返って書いたものではなくて、正に思春期の
 ただ中にある人が書いた文学である、と。
 こんな本は他にないと思うんですよね。

もしアンネが生きていたら85才なうです!
そんな離れてないしッッ 生きてて全然おかしくない

密告で隠れ家の人々が連行された後、散らばっていた日記をアンネたちの支援者・ミープさんがそれを拾い集め、アンネが帰ってくるまで鍵をかけて読まずに保管していた。 そしていよいよアンネは帰ってこないんだとわかったときに、アンネの父に手渡されたもの。 終戦後 生き残った父が出版に至るのです。 近年、『アンネの日記 完全版』が刊行。

アンネ・フランクは1929年ドイツで父オットーと母エーディットの元に生まれます。 オットーはフランクフルト出身の裕福な銀行家で、一家は恵まれた家庭を築いていました。 その頃、第一次大戦の敗戦国だったドイツは多大な負債を抱え、大不況の煽りも受けて失業者が街に溢れていました。 国民の不満が高まる中、ヒトラー率いるナチス党への支持が急速に広がっていきます。 1932年にはナチスが第一党となり、翌年ヒトラーは首相の座に就きました。 人種主義に基づくユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れ始め、公職追放や商売の禁止など日々の暮らしが危機に晒されるようになります。 ユダヤ人であったフランク一家は迫害を逃れるため中立国であるオランダに移住し新たに生活の基盤を築くことを決意。 父オットーがまず移り住み、翌年、4才だったアンネと姉のマーゴット、妻エーディットを呼び寄せ、一家のアムステルダムでの暮らしが始まります。 アンネは自由な校風の学校に通い、しあわせな生活を送っていましたが、やがて第二次世界大戦の火蓋が切って落とされると瞬く間にオランダにもナチスドイツが侵攻してきました。 ドイツ占領下でユダヤ人迫害が始まったのです。
1940年、オランダはナチスに降伏。 翌年にはアムステルダムでは最初のユダヤ人狩りが行われます。 さらにユダヤ人はみな黄色いバッヂを衣服に縫い付けなければならなくなり、情勢は悪化の一途をたどりました。 そんな中、アンネは13才の誕生日を迎えます。 プレゼントはアンネが一番ほしいと思っていた物。 布張りで鍵の付いたかわいい日記帳でした―

 「あなたになら、
  これまでだれにもうち明けられなかったことを、
  なにもかもお話しできそうです。
  どうか私のために、
  大きな心の支えと慰めになってくださいね」

学校の成績や友達のこと、男の子のこと、アンネは親友に心の内を明かすように日記に素直な気持ちをぶつけていきます。

 「考えてみると、私のような女の子が日記を付ける
  なんて妙な思いつきです!
  他の誰にしても13才の女子中学生なんかが心の内
  をぶちまけたものにそれほど興味を持つとは
  思えませんから。
  でもだからといって別に構いません。
  私は書きたいんです。
  いいえ、それだけじゃなく
  心の底に埋もれているものを
  あらいざらいさらけ出したいんです!」

それからひと月もしない日に突然、アンネの姉に強制労働のための出頭命令が届きます。 出頭すれば収容所行きはまぬがれない。 “マルゴーを行かすわけにはいかない” 一家は父オットーが密かに準備していた隠れ家への潜伏を決意。

 「まるで北極探検にでも出かけるみたいに、
  どっさり服を着込みましたが、これもできるだけ
  たくさん衣類を持ってゆくための苦肉の策です。
  私は肌着を2枚着てパンツを3枚重ねて履いた上に
  ワンピースを着てさらにスカートとジャケットを
  重ね、サマーコートを羽織り、ストッキングを2足
  と編み上げのブーツを履き、
  おまけに毛糸の帽子と襟巻きと...
  もう数え切れません! おかげで
  家を出ないうちに窒息しそうになりましたけどw」

歩いて4キロの道のりを移動。 隠れ家は街の中心部で父オットーの営むオペクタ商会の裏側にありました。 フランク一家の他にもう一家族が合流し7人での暮らしが始まったのです。

先生は言いました。
 このアンネの日記に《ユーモアがある》、
 っていうことは私が一番言いたいことなんです。
 決して可哀想なだけの話ではなくて、
 人間が生きているかぎり、
 ユーモアがあるわけですよね?
 それをアンネはすくい取ってる


 「1942年7月8日水曜日
  親愛なるキティーへ
  日曜の朝から今までに何年も経ってしまった
  ような気がします
  いろんなことが起こって、
  まるで世界じゅうがひっくりかえったみたい。
  でもキティー、私はちゃんと生きていますし、
  いまはそれがいちばんだいじなことだと
  パパも言っています」


先生は言います。
 この《キティー》という存在を編み出したという
 ことがとても重要なポイントだったと思うんです。
 この《キティー》に、語りかけるという
 スタイルを執ることで、現実に起こったことと、
 それを書くっていう、
 自分との間に絶妙な距離をとることができた。
 自分勝手な、独りよがりなつぶやきではなくて、
 キティーのために語る。
 誰かのために語るという、
 《物語の原点》がここに生まれたんです。
 日記って本来 人に読ませるものじゃないので、
 どうしても我儘な想いをただ
 バーンとぶつけるだけで終わってしまう。。
 そうすると文学にはならないんですよ…
 やっぱり紙の向こう側にいる人に伝えるためには
 一度自分の中にある気持ちをモヤモヤしている
 気持ちを整理して、
 《これはどういうことなんだろう?》と、
 もう一人の自分がそれを見つめて、
 それに言葉を与えて、って手順がいるんですよね?
 アンネはそのモヤモヤとしてる袋小路に陥っている
 自分の感情っていう本来あやふやで形がないものに
 言葉を与える能力がある
 言葉に書くことによって、
 感情を外に解き放つことができる


突きつけられましたね。。
文章を書く人ならわかると思います
自分の気持ちを深くたしかめないわけにはいかない
伝えようとしたら文章を考えないわけにはいかない
SNSなど、独りよがりなことしか書いてない人が

 どれだけいるか

ダンスでも同じことです。
何かを伝えたい、受け取ってもらいたい
人のために何かをする、
これはいつでもわたしたちに問われていることで、
それを受け取る人がどう思うかを

 考えているのか 考えていないのか

今では《どうでもいいこと》が多すぎて、その記事に
テキトーに《いいね!》なんてしている世の中です
ある意味で《どうでもいいこと》が重要になって
いさえしかねない時代です

 ほんとうに大切なものが ほんとうに見えない

《どうでもいいこと》に振り回されて、
《どうでもいいこと》にブチ切れられる。
それに比べてアンネの文章がどれだけ心を打つか…
これは厳然たる違いです

 伝えようとする資質が根本的に違う!!!

さあ、あなたはどうですか??
わたしだってひとつ間違えば同じです

今回はほとんど時代背景しか載せられませんでしたが、
この本を語るには絶対に避けられません。
そして、1日でまとめきれるはずもありません!!
また明日ッッ


 < 過去  INDEX  未来 >


Taisuke [HOMEPAGE]