| 2013年04月13日(土) |
楽しいって何ですか? |
「楽しいって何ですか?」
涙目で訊ねられた台詞でした それも某ブティック内で えっ、なんでこんなところで“楽しい”の相談?! 意味わからん!! 〜しかしこれは、ほんとうに訊ねられたリアルです〜 相手はあまり物事を深く考えない“その場”感がつよい店員w わたしは深く考えすぎて陥るタイプだけど、 わたし担当者なその店員は深く考えないから常に明るいタイプ☆ ってそれ真逆じゃないの―!? そんな店員が、考えちゃったばかりに起こってしまった悲劇。 きっと不意に暇ができちゃったんじゃないかな?(わるい意味じゃないよ)
さぁたいへんな質問をされてしまいました!! あなたな〜らどう答えるるるーーー
楽しい? そんなの、考えることじゃないんじゃないかな
わたしの現在は目指すものに向かっていく挑戦の真っ最中です。 向かっていくことには困難がいつだってつきまとうもの。 だけど、すすんでいるときには余計なことを考える暇なんてない。 どうやったら出来るか、どうやったらもっと踊れるようになるのか いつもちょっと先を歩けるように自分をもっていくことしか考えてない
楽しいはいつだってその先にあるとおもっているんだものね
よく絵で示される例え、競走馬の前に釣られてる人参。 わたしは、あんな“わかりやすい楽しい”を欲していません。 目の前の“楽しい”よりももっと大事なことがある そのことのために小さな楽しいを見つける努力はしても、 目先の楽しいにすべてを奪われるようなことはしません。
自分をわすれるくらいにおどったとき、 楽しいなんてことも考えられないくらいに無心でおどれたら
自分が目指すものに向かうときや、好きなことをしているとき 本気であればあるほど、それは集中をともなうものではないでしょうか どんなことも目先の楽しいであれば自覚できます 楽しいと“思いながら”事にあたることができる 目先の楽しいは、自分の力でそのように楽しくもっていけるのでは?? じゃあ、“本物の”楽しいは?? 心底“楽しい”と思えるってどんなときですか??
もう答えはひとつじゃないね
わたしたちひとりひとり、それぞれが決めるもの いくらわたしたちが楽しくできるとしても、自分自身に嘘はつけません。 お酒を飲むことを“楽しい”としている話もよくききます。 しかし、わたしはよくわかりません。 お酒を酌み交わす相手がいれば楽しいとおもえますが、 お酒を飲むことだけには“楽しい”なんてまったく感じないのです。 まったく悪気はないのですが、 わたしが一人でお酒を飲むなんてのは一種の気の迷いですw
今おもうのは、あのときが“楽しい”だったんじゃないか、ってことだけ
後日、わたしは担当店員に映画『リトル・ダンサー』を渡します。 見て欲しい場面があったからです。 それは、主人公ビリー・エリオットが試験面接官に問われるシーン。
「最後に1つ聞かせてビリー? 踊っているときはどんな気持ちなの?」
「分かりません …いい気持ちです 最初は硬いけど 体が動き出すと全部わすれてしまう それから― 消えるんです 消えてしまう 体が変化して 火がつく感じ 飛んでるような気がする 鳥のように 電気のように そう… 電気のように 」
わたし自身、どう踊ったのかおぼえていない本番がいくつもあります 観客にどう見えたかは常に自らに問わなければなりませんが、 自分をわすれるくらい踊ったのは事実です そんなわたしですからビリーくんの台詞は何度聞いても唸ってしまうのです
“分かりません”、今はその言葉が“楽しい”の正体な気がしています
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