断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2013年04月08日(月) 「戸川純 TOGAWA LEGEND」

昨年末、リハーサル中にかかったあの曲。
 「ラジャ・マハラジャー」
無性に明るくなる歌にあの公演中、呪いのように頭から離れなかったw
そんなものは友人にメッセージばら撒いてシェアせねば。
特にヨガやってるとかでインドがなんとなく身近な人w
こんなものが“みんなのうた”で流れてた事実に気が動転しました。
歌詞にあるこの部分を今聴けばそれもうなずけるでしょう☆

 夢から醒めないくすりを飲んで〜 千年長生きするそうな〜

そのくすりって!! いいの?! 放送していいの!?
 印度へ行ったら会いたい人は〜 ラジャ ラジャ マハラジャー
薬がほしくてマジでそうなりかねなくないないか?!
千年長生きするよりも、夢から醒めない生き方がしたい!!
動き出す切り絵みたいな映像にもしびれましたw  もはや伝説です
そのうちヨガ美人sacredトコちゃんに声かけられます。
 「タイスケさん!わたし戸川純CD買っちゃいましたよ♪」
貸してくれ!
そういうわけで自らに課してみました

 『戸川純 TOGAWA LEGEND』
 self select BEST and RARE 1979〜2008

 私のベスト・アルバムは今まで何種類かリリースされていますが、
 『東京の野蛮』以外はレコード会社主導企画で、
 私が知らないうちにいつの間にか出されてしまっていたものばかりでした。
 ファンの人から「サインしてください」と言われて、差し出されたCDを見て
 初めてその存在を知る、というようなことばかりが続いていたわけです。
 だから今回のように企画の段階から私監修のもと、
 制作進行すべてに関わることができたのは初めてのことでした。

安易に借りてしまったものでしたが、その正体はとんでもないCDでした!!
アングラ最前線、まさに草分けパイオニア!!  天才だ
突き抜けてるその歌と音… 衝撃でした
中でもダンスにかかわるtrackはおのずと聞き込んでしまいます

 ああいつもおんなじ動きで ハイハイしゃべれることはこれだけ
 それより欲しかったのは 私のためのロボットのためのロックンロール
 なぜ私にダンスの踊り方をおしえてくれなかった
 私の動き決められてる 私の仕事決められてる 思いどおりに動けない
 アンチョン イイイイイイイイ ヤッハ ああいつもおんなじ動きで
 ハイハイしゃべれることはこれだけ それより欲しかったのは
 私のためのロボットのためのロックンロール
 私にも音楽わかります 私にもリズムわかります
 わかるだけ 踊れない
 アンチョン イイイイイイイイ ヤッハ
 「踊れない」

複雑な気持ちになりました
ジャンルの踊りになれば動きは決められており、思いどおりには動けません
だって思いどおりに踊っちゃいけないんだものね
そういう意味で、ジャンルに縛られた踊りでは
自分の思いどおりに踊る踊り方は誰もおしえてくれません
まずは、すべて決められたものが出来なければならないのです
もちろんジャンルを踊りこんでいけば自由になっていけるのですが、
はじめから自由に踊るやり方が尊重されることはほぼ無いといえます
この歌詞で歌われているところの“踊り方”には考えさせられました

 ギリギリ ギリギリ 廻る歯車
 バチバチ バチバチ 飛び散る火花
 ビユンビユン ビユンビユン 跳ねるスプリムグ
 関節が曲がつてゆく フオルムが廻り出す 踊り出す動力の姫
 金属のバレリイナ 肉体はメカニツク 廿世紀の科学の進歩
 モオタアのシンフオニイ 送られる電力で 機械仕掛けのパドドウ演じる
 銀色のトウシユウズ つまさきのピルエット 輝く脚でポヂシヨンをとる
 驚きに目を見張る 近代の美の結晶 世界に誇る 我らがプリマ
 「動力の姫」

気概があったら是非とも聴いてもらいたいものですが、
その歌たちは完全に突き抜けています
ある意味でバレエな人たちに対しおそろしく問題があるかもな歌詞w
しかしその歌にバレリーナが持つ力が見えてくる… すごい歌です!!
あくまでも歌ですから、こんな文章ではなんにも伝わってないでしょう
強烈すぎてドン引きしてしまいそうになりましたが、
逆に強烈すぎてドン引きしようにも動けない!! 凄い凄すぎる
これが突き抜けた本物の力でしょう 〜ウソだったらきっと動けるよね〜
CDでこんなだったら生ライヴ行っちゃったりしたらどうなるの―

泡ふきながら悶絶かなw

自分をここまで貫くアーティストは存外いません。
わたしたちはその歌にどう感じるのでしょうか。
わたしたちはここまで自分を引き出すことができるとおもいますか??
歌を聴いてもらわないと、
どうしてこんなこと言うのか理解してもらえないかもしれない
洋舞においては、自分を踊ることが嫌悪されているところがあります
自分を踊ることは簡単で野卑なものとしてあつかわれるのです
ところがほんとうに自分を踊るということは困難で神聖なものです
わたしはこのCDを聴きながらその感覚が、
室伏鴻さんの舞踏を見ているのに近いと感じました

見たくないのに目がそらせない

なんとも文章にしにくい、言葉にできないこの感じ
気分がいいものじゃないのに、なぜそのカラダに引き込まれるのか
今でも悩むところです
実のところ このCDの歌たちもすごく目をそらしたくなりました

ところがグロテスクなそのカラダや歌のどこかに美しさを感じるんです

もう理屈じゃない
厳しさの上での踊りと自分の中からわきあがる踊り
鍛錬されたものはより多くの人たちが見てくれる
じゃあその逆は???
自らの中からわきあがる踊りは美しさとは違う

下手だけど凄い

そんな踊りがある わきあがるものが圧倒する踊りです
それは鍛錬の物差しでははかれない、上手下手とは次元がちがう世界
ここでいう“凄い”はわたしの嫌いなものじゃありませんw
“なんだかわからないけどすごい”です
からだの可動域とかじゃなく、単純に言葉にならない理解不能系

価値観を揺るがすものだからです

決まった踊りのためには決まったことができなくてはなりません
決まったことを刷り込んでいけば決まったことはできるようになります
ですが踊りを踊るには、決まったことを超えていかなくてはなりません
どんなジャンルでもそうではないでしょうか
ある種、独善的で自己満足にも見えてしまうものが自分です
それを貫くことには恐怖や憧憬、誤解と真実の混沌です

でも、みんな、みんないつか自由にたどりつきたいんじゃないでしょうか

どんなに葛藤があっても、
自分を真に解放して自由にできるのは自分自身しかいません
最後は他者に認められることではなく、自分を信じることなのでしょう

本物を目の当たりにしてわかることは、
“価値観を揺るがすほどのことがわたしたちには出来る”ということです
どんなことも意志を貫くことには勇気が必要ですよね
やりきることができるかどうか、そこにもっていけるのも自分次第
実際にそれをやっている人たちがいることが、それを証明しています!


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