彼はゆっくりと市場の中を歩いていった。 商人たちが露店を組立てていた。 少年はキャンディ売りが店を出すのを手伝ってやった。 キャンディ売りは顔に笑みを浮べた。 彼は幸せで、自分の人生がどんなものか知っていた。 そしてその日の仕事を始めようとしていた。 彼の笑顔は少年に老人のことを― 彼が会ったあの日の不思議な年老いた王様のことを思い出させた。 「このキャンディ売りは、将来旅に出たり、店の主人の娘と結婚するために、 キャンディを作っているのではない。 彼はそうしたいからやっているのだ」 と少年は思った。 老人と同じことを、自分ができることに、彼は気がついた― それは、ある人が、彼の運命にそっているのか、それとも遠く離れているのか、 感知することだった。 彼らを見るだけでわかった。 とてもやさしいことなのに、今までやったことがなかったな、と少年は思った。
身震いしました あれからのわたしはこれまで感じなかったことが“わかる”ようになっていました よくよく考えればそれは“とてもやさしいこと”だとおもえます 特別な能力なんかじゃまったくないよ ただ、以前はそんなことに目を向けることはなかった 自分のことだけで精一杯だったのだ、そうおもうのです これはダンスにもおもいきりあてはめることができます 踊りを見るだけでわかってしまうそのダンサーの本質 わかるのは、その人が“何をダンスとしているのか”です
店を組立て終ると、キャンディ売りは少年に、その日作った最初のあめをくれた。 少年は感謝してそれを食べ、歩き始めた。 まだそんなに行かないうちに、店を組立てていたあいだ、キャンディ売りは アラビア語で話し、自分はスペイン語で話していたことに気がついた。 それでも二人は互いに完全に理解しあっていた きっと言葉によらないことばというものがあるのに違いない、と少年は思った。 すでに羊とはそういう経験をしていた。 そして、今、人との間にもそれが起こったのだ。 彼は新しいことをたくさん学んでいた。 そのいくつかはすでに体験していたことで、本当は新しいことでも何でもなかった。 ただ、今まではそれに気がついていなかっただけだった。 なぜ気がつかなかったかというとそれにあまりにも慣れてしまっていたからだった。
読んでいて不思議な気持ちになりました ウソみたいに自分がそうおもっていることが書かれていたからです わたしの経験からはこうなります 救命病棟。 一度も会ったことのない、話したこともない人たち わたしたちは互いに完全に尊重しあっていた 尊重していたのは、わたしたちが“生きていること”です ここにいる人たちは見た目ではわからなくとも、全員に“何か”あるのだ その“何か”はよくよく話してみない限り知ることはありません しかし、話さなくともそれは“わかる”ことでした わたしたちは、どんな人とも、相手を尊重することばで会話していたんです いろんな人と話せば話すほどそれを確信しました “人はお互いに尊重しあえる” 社会にいるときにはファンタジー、幻想のように思われる理想世界 でもね、ほんとうにあるんですよ そんなリアルが!! わたしたちが生きるのは競争社会 相手を認める、認め合うなんてところにいくには問題がありすぎますよね 他者を蹴落として自らの地位を確立する世界です 不思議です 不思議でした なんでこんな簡単なことができないんでしょうか お互いを生かしあうことはなんて難しいんでしょうか わたしたちは、そもそも全ての人に“何か”あるのに その“何か”をどうして受け容れることができないんでしょうか
その瞬間、少年は時間が止まったように感じた。 「大いなる魂」が彼の中から突き上げてきた。 彼女の黒い瞳を見つめ、彼女のくちびるが笑おうか、 黙っていようか迷っているのを見た時、 彼は世界中で話されていることばの最も重要な部分― 地球上のすべての人が心で理解できることば― を学んだのだった。 それは愛だった。 それは人類よりももっと古く、砂漠よりももっと昔からあるものだった。 それは二人の人間の目が合った時にいつでも流れる力であり、 この井戸のそばの二人の間に流れた力だった。 彼女はにっこりほほ笑んだ。そして、それは確実に前兆だった― 彼が自分では気がつかずに、一生の間待ちこがれていた前兆だった。 それは、羊や本やクリスタルや砂漠の静寂の中に、探し求めていたものだった。 それは純粋な「大いなることば」だった それは宇宙が無限の時の中を旅する理由を説明する必要がないのと同じように、 説明を要しないものであった。
わたしが求めている“ダンス”はそのようなものだとおもいます 「大いなることば」のようなダンスが踊りたい 目と目が合うときに流れるようなものをダンスにしたい 説明が必要なのは相手が閉ざしているときですよね 開かれている、オープンな人にはほとんど説明なんて要らないではありませんか 疑ってくる人や相手を必要としない人にはダンスは届かないかもしれない そんな人たちには力を見せなければならないのが現実です これが説明ですよ
彼は両親や祖父母から、結婚相手を決める前には、相手と恋におち、 相手を本当によく知る必要があると言われていた。 しかし、おそらく、そのように言う人たちは、 宇宙のことばを一度も学んだことがないのだろう。 なぜなら、そのことばを知っていれば、 砂漠のまん中であろうと、大都会の中であろうと、この世界には、 誰か自分を待っていてくれる人が必ずいると理解するのは簡単だからだ。 そして、そのような二人が互いに出逢い、目と目を合わせた時、 過去も未来も、もはや重要ではなくなる。 その瞬間しかないのだ。
瞬間に“わかる”とは一体どれほどのものなんでしょうか 街を歩いてるときなんか向こうから歩いてくる人がどちらに行くか“わかります” その視線の先や、その速度でわたしたちはそれを推測しています 面白いのは、その気配を感じなかったり、推測しすぎて何度もぶつかるときw あっ!これ振付にしよう!!(爆 人は生きてるだけで物凄い情報量を有しています 人が集中して物事にあたるときは、なんとその人の意志力まで量ることができます このときほどその人の本質が“わかる”ときはありません! ギリギリの緊張感から繰り広げられるダンスはそのすべてに通じます そんなわたしですから、宇宙のことばを信じたい気持ちにウソはありません! とても勇気がもらえましたよ
彼は風の音を聴き、足の下に石の感触を感じた。 そこかしこに貝がらがあった。 ずっと昔、そこが海だったことに彼は気がついた。 彼は石の上にすわると、心を無にするために、地平線を眺めた。 彼は愛と所有の概念を区別しようとしたが、二つを区別することができなかった。 ファティマは砂漠の女だった。 そしてもし、彼が彼女を理解できるように助けてくれるものがあるとすれば、 それは砂漠だった。 少年がそこに座ってもの思いにふけっていると、上の方で何かが動く気配がした。 見上げると、二羽のタカが空高く飛んでいた。 彼はタカが風に乗ってただようようすを見ていた。 タカの飛び方には何の法則もないようだったが、少年には何か意味があるように 思えた。 ただ、それが何の意味かはつかめなかった。 少年は鳥の動きを追った。 そしてそこから何かを読みとろうとした。 もしかしたらこの鳥たちが所有を伴わない愛について、何か説明してくれるかも しれないと思った。 彼は眠くなった。心の中では起きていたいと思ったが、眠ってしまいそうだった。 「僕は今、『大いなることば』を学んでいるのだ。世界中のすべてのものが、 僕にとって何らかの意味を持ち始めている… タカが飛んでいることでさえ」 と彼は独り言を言った。 そしてそんな気持ちでいる時、彼は自分が恋をしていることをありがたく思った。 恋をしていると、ものごとはもっと意味を持ってくるものだ、と彼は思った。
相手があることだから、もしかしたら迷惑な話かもしれません ですが、ありがたい気持ちになるのはほんとうです 生きてる。 生きてるね 所有を伴わない愛、それは人を信じることに他ならない、そうおもいます
彼は起こったことに気が動転していた。 彼は「大いなる魂」に達することができたのに、 その代償は自分の命になるかもしれなかった。 それは恐ろしいかけだった。 しかし、羊を売って自分の運命を追求し始めた日からずっと、 彼は非常に危険なかけをしていた。 らくだ使いが言っていたように、 明日死ぬことでさえ、他の日に死ぬことと別に変わりがあるわけではなかった。 毎日は、生きるためにあるか、またはこの世からおさらばするためにあるかの どちらかだった。 すべては一つのことばにかかっていた。 それは「マクトゥーブ」だった 黙って歩きながら、彼は少しも後悔していなかった。 たとえ明日死んだとしても、それは神様が未来を変える気がないからなのだ。 明日死ぬことになったとしても、それは海峡を渡り、クリスタルの店で働き、 砂漠の静寂とファティマの眼を知ったあとだった。 彼はずっと前に家を出てから、毎日を精いっぱいに生きてきた。 たとえ明日死ぬことになったとしても、 他の羊飼いよりずっと多くのものを見てきたし、それを誇りに思っていた。
今の自分に誇りをもつことができるか そして後悔しないこと それはそのときまでどれだけ精いっぱい生きてきたかで決まるかもしれません 昔、セッツァーが言ってましたね。 「落ちるときは落ちるもんだ… 人生とは運命を切り開く 賭けの連続…」
誇りをもって堂々と踊るために、できる全力で賭けをつづけていきたいです
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