断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2012年12月29日(土) 「孤高の人」

11月『サクリファイス』から今日までいろいろあったけど地味に読んでましたw
実在の人生のお話でしたから時間もかかるはずですよね!!
ちなみに時間的にはわたしが生まれるぜんぜん前の昭和48年に発行された小説ですw

 『孤高の人』(上)(下)   新田次郎
 加藤文太郎は、山の特権階級に挑戦するために山へ行くのではなかった。
 記録を作るためでもなかった。
 彼はいまや山そのものの中に自分を再発見しようとしていたのである。

昭和初期、ヒマラヤ征服の夢を秘め、限られた裕福な人々だけのものであった登山界に、社会人登山家としての道を開拓しながら日本アルプスの山々を、ひとり疾風のように踏破していった“単独行の加藤文太郎”。 その強烈な意志と個性により、仕事においても独力で道を切り開き、高等小学校卒業の学歴で造船技師にまで昇格した加藤文太郎の、交錯する愛と孤独の青春を描く長編。
日本登山界に不滅の足跡を遺した文太郎の生涯を通じ“なぜ山に登るのか”の問いに鋭く迫った山岳小説屈指の力作です。

 目的地につくまでは、休まないこと、立止っても行けない、
 したがって歩調は、かなりゆっくりと、汗の出ないていどに歩きつづけること

最初にうなった文章でした…
目的地までは休まないこと、立ち止まってもいけない。
わたしは子どもではないので酷使しすぎてカラダを壊すわけにはいきません。
カラダを壊せば回復に大きな時間がかかり、それだけ夢が離れてしまうからです。
選ぶのは歩きつづけること

 「加藤君どうだね、ヒマラヤは」
 外山三郎は微笑をまじえながら加藤に話しかけた。
 「行けない山のことなんか興味はありません」
 加藤はそっけなく答えた。
 「行けない山だって?」
 藤沢久造の眼がきらりと光った。
 それまでずっとおだやかな顔で外山と話していた藤沢とは別人のようだった。
 「行けないのではない、行かないんだ。
  行かないから未征服の山がそのまま残されているのだ。
  八千メートル級の山だって、いくつあるのかも、
  ほんとうはまだ正確には分っていないんだ。
  まして七千メートル級の山になると、地図にない山、
  あっても名前のついていない山が数え切れないほどあるんだ」
 藤沢久造は加藤の眼をとらえたまま更につづけた。
 「行けないんじゃあない、行かないんだ。 日本人はまだ誰も行こうとしないのだ

息が詰まりました… こんなに突きつけられる感じはひさしぶりでした
だってこれは誰にでも、何にでもあてはまるじゃないですか
ダンス・踊りもそうだし、ヨガでも同じなら仕事だって同じはずです。
“行けないんじゃあない、行かないんだ” その文章に歯軋りした

 いわゆる登山家という奴の中には、にせものが多い。
 こういうおれもにせもののひとりだ。 きみもけっしてほんものではない。
 ほんものの登山家というのは、
 すべてを自らの力で切り開いていく人間でなければならない。
 加藤文太郎といったな、あいつは。
 彼はそう遠くないうちに日本を代表するような登山家になるだろう

加藤文太郎の生い立ちは加藤文太郎の根底をつくっていました。
それはほとんど、他人をあてにしない“信じられるのは自分だけだ”というものです。
いかなることがあっても、自分のことは自分で処理する。

 偏屈にも思われるほど、妥協性を欠く独立精神が、結局は山における人間に通ずる

わたしはほんとうにそうなのかかんがえました
人間の最期がひとりで死んでいくというものならまったく間違いじゃない気がする
目標を打ち立てて遂行するその圧倒的な急進力はとんでもない境地へ誘います
でも、でもさ、偏屈で妥協性を欠くのが“孤高”って言えるのかな??
わたしにはわかりませんでした  むしろわかりたくないともおもった
しかし圧倒的な力をもつ人間には同じ性質があるのをわたしは知っています
これまで出会ったそんな人たちに共通するのは“偏屈で妥協性を欠いている”ことです
加藤文太郎にはそういう生き方しかできなかった

言うことができるのは、偏屈で妥協性を欠いている自分LOVEではないということです
自分を超えなくちゃ、ほんものの力ではないのでしょう
それは“切り開く”種類の力ではないからです

 (はたして、生涯の目的をヒマラヤにかけていいだろうか)
 あらゆるものを、場合によっては、青春さえも犠牲にしてヒマラヤをのぞむことが、
 意義あることだろうか。
 彼は机上の鉛筆を取って、紙の上にヒマラヤという字を書いた。
 頭の中のヒマラヤを字としてそこに書くと、ヒマラヤはやはり、
 彼とは関係のない外国の山に思えてならなかった。 加藤は、ヒマラヤの字を憎んだ。
 彼と関係のないヒマラヤがこうまで彼をとらえて放さないことに憤りを感じたのである。
 ヒマラヤという字は無限に書けた、またたく間にレターペーパーの一枚はヒマラヤで
 一ぱいになり、二枚目も三枚目もヒマラヤで満たされていった。
 レターペーパーの最後のページが残った。 そこに加藤文太郎は数行の文字を書いた。
  和田岬まで歩いて通う
  洋服なんかいらない
  交際費は使わない
  下宿代、昼食代、小遣銭―
 彼はその四行を書いてから、下宿代、昼食代、所要小遣銭を頭の中で加算して、
 その合計を月給の六十円から差引くと二十二円五十銭のおつりが出た。
 加藤は彼の俸給袋の中から二十二円五十銭を取り出して、ヒマラヤの落書きで
 いっぱいになった紙片に包んでから更に、レターペーパーの余白で、
 こまかい計算を始めたのである。
 もし毎月二十二円五十銭ずつ積み立てていったら十年かからずとも、
 二千円の貯金はできる。
 そのことがヒマラヤへ行くこととつながるならば、ヒマラヤは夢でなくなるのだ

加藤文太郎は愚直にその積み立てを重ねてゆきます
もう一度いえば、これは実在の人物のお話です
山を登るため、リュックに15kgの石を入れて出勤するし、家があるのに野宿するんです
紙に書くという行為は夢を叶えるための決意ではないでしょうか
現に、夢を叶えたひとたちのドキュメントには必ずそんな場面が登場しますよね
“ひとりで生きていく”そのことに沿えば山ほど試される場所はないのかもしれません
一歩間違えば命を落としかねない山
しかし、単独行がきわめて危険であることを加藤文太郎は知っていました

 「つまらぬことはやめたらいい」
 加藤はぽつんといった。
 つまらぬことというのは、宮村健のやっている単独行をさしているのではなかった。
 もし、宮村が加藤のやったとおりのことを真似しようというのならば、
 それはつまらぬことだといったのである。
 (単独行なんてけっして楽しいことではない)
 加藤はそういってやりたかった。 苦しいことの方が多いのだ。
 その苦しみに比較して得られるものはなにもないのだ。
 あの山を登ったという、自己満足以外にはなにもないのだと教えてやりたかった。
 (なんのために山へ登るかという疑問のために、山へ登り、その疑問のほんの一部が
 分りかけたような気がして山をおりて来ては、そこには空虚以外のなにものもない
 のに気がついて、また山へ行く…
 この誰にも説明できない、深いかなしみが、お前にはわからないだろう)
 加藤は宮村にそういってやりたかった。
 (きみが、おれのあとを追うことは勝手だ。 だが、おれと同じように、山という、
  得体の知れないものの捕虜になることをおれは決してすすめはしない)
 「山はひとりで歩くものではない」
 「でも加藤さんは―」
 「おれは、ひとりでしか、山を歩けない男なんだ

読めば読むほど複雑な気持ちになりました
誰しも“ひとりで生きていく”強さがほしい
なによりも驚いたのは、その志がけっしてくじけない崇高なところにあったことです
しかし加藤文太郎のことをかわいそうだとおもえてしまったのも事実です

 それは“ひとりでしか山を歩けない”からです

踊りでもなんでもきっと同じではないでしょうか
舞台でソロを踊るときには自分だけに押し寄せてくる恐怖心を超えなくてはなりません
人前に立つことがどれほど怖いか
“しなければならない”ことはどれほど恐怖を生むかわからないのです
これは誰にも説明できません
ダンスにはお芝居のように役があるわけでもないし、虚勢を張ることもできません
ウソがつけないのです  ウソはたちまちばれてしまうからです
相手があれば“しなければならない”ではなく相手に集中しなくてはなりません
そのことがダンスに、踊りだけに集中できるスタンスを生みます
『孤高の人』を読みながらわたしが自分に感じたものはこれでした

 ひとりじゃなく、みんなで切り開いていきたい

すべてを自分の力だけで切り開くよりも、助けあって何かを成し遂げたい
それがどんなに平凡なことでも他人と喜びをわかちあいたい

それは加藤文太郎がひとり命がけで切り開くものであるなら
お友だちごっこではまったく到達できるものではないでしょう


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