| 2012年12月13日(木) |
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」 |
2012年11月17日の公開から9日間で観客動員200万人超をマーク。 シリーズ史上最高のスピードで大ヒットを収めている『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』最新12月6日付の成績では動員284万人、興行収入39億円超え。 わずか3週間にして、前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の最終興行収入40億円を超える可能性も出てまいりました―
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 希望は残っているよ、どんな時にもね。
この世でどれだけ長いことやっているアニメーションなんでしょうか? いくらなんでも伝説つくりすぎですよね。 〜これが商売だ〜 ところで、QがQuicklyのQだってどれだけの人が知っているんでしょうか?? 〜わたしはもちろん知りませんでした〜 早いとこ終わってくれと思っているわたしは『破』で裏切られ、もはや物語は別物ですw 今回にいたっては『破』のラストが思い出せないくらいになってからの絶賛公開! もうぜんぜんわからん。 っていうか忘れた 記憶をたどるとシンジ君が男らしくキメたとこくらいしか出てこないぜ。
キメたおかげで世界は壊れていた―
自分が知らないうちに世界を破壊していた件。 その原因が純粋だったからこそ、その罪悪感は大きくなるのかもしれません 14年が経過したからといって知らない罪を教えないのはどうかとおもった
アスカなんかほんとうにヒドイね 個人的には人間のクズだとおもったよ
あそこまで底なしの暴力的な文句はないだろう 他人のことをガキだと決めつける本人自体がガキじゃないか 14年も経過してるのならお前のほうが大人になっとけよ 真実をなにも知らないシンジに果たし状だけふっかけてどうする 怒りをそのままぶつけるなんてことしたら世の中殺し合いだぞ っていうかアスカはシンジを殺したくてたまらないってことか じゃあ14年間もその“殺したい”が煮えたぎっていたってことか シンジが生還したってことは殺せるってことか でもアスカがシンジを最後に殺さないことはなんとなくわかるつもりだ
だからこそアスカはガキなんである
たしかに世の中には知らないほうがいいこともある だけど成長するためには知らなくちゃ始まらない 極端に真実を知ることがどんなにつらいことかわかりますか 病院で目覚めたときの自分がそうでした 歴史的に見ればマリー・アントワネットはどうですか? 気がついたら殺されなきゃならないなんてどうなんですか? 知らなければ罪を償うことなんてできない 知らないことが罪か 知ろうとしないことが罪か ひとりでは気付けない、気がつかないことのほうが多いのではないでしょうか 他人がいることで、比べることで、自分を知ることができる Qではカヲル君の台詞が大変興味深かった。
「償えない罪はない。 希望は残っているよ、どんな時にもね」
これは本当でしょうか? 人間のエゴじゃないのか? Qのアニメーションはめちゃくちゃ凄かった。 日本人が誇っていいものだとおもった 物語の内容を置いといても、その描き込みは尋常じゃない、異常だ。 だって内容ではなく、おおよそその描き込みで『Q』は成り立っているんだものね。 エヴァ本体をはじめ、世界観からのあらゆる機械メカニック。 わけわかんないのが動いてるだけで目が奪われるんだからさ。 だから、それを楽しめなければおそらく面白くはあるまい。 会話は終始曖昧。 会話だけ聞いてもきっと面白くないw 想像力がないとあの会話は無理だ、聞いているだけでは無理なつくりだ そういうわけで、わけわからん展開を終始聞かされることになります “知りたい”という気持ちを完全に操られてるねw
なんてコンテンポラリー商売だ
答えを知りたがる日本人への“答えおあずけ商法”の確立です。 凄すぎるぞ、この明らかにしないやり口w わからなくすればするほど知りたくなる人間の心理を突いていやがる!!
これが『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の正体だ!!
さあ、そんなエヴァQを踏まえてダンスへの活かし方を考えましょう。 知りたくするためには、まず何よりもすべてを肯定できるカラダ、フィジカルです。 そして、見ている人の想像力を引き出すには踊り続けることよりも踊らないこと。 お客さんに敢えて答えを明らかにしないことが想像力を育てるのです!! 大事なのは余地、余地です。 余地を埋めてしまうと漠然と“見る”だけにおさまってしまうのです。 これが続けるための無限の可能性を秘めているのだと思われます。
だからこそヱヴァンゲリヲンは終わらないのです
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